1905(明治38) 年4月23日 Sunday


四月二十三日 晴

日曜で珍らしき快晴なれども一寸よき趣向もなく朝は四畳に籠つたところ九時頃田中猪太さんが光風の挿画の事でやつて来た。間もなく小代が来て小父甥の間新工場の図案が始まる。戦争で大分景気がよさそうな様子に見える。十一時頃二人とも帰つた。午後目黒に御見舞した。よねは時計屋に病気見舞といつて米吉の車で出掛けた。棉服と宿車とは少々不釣り合である。無心の小児に不倫の称呼を慣用せしむるに至つては沙汰の限り、何れの日が懲罰の目的を達し得べきか此間に最も憐れむべきは無心の孤児である…。父上は元気で謡曲研究会で音楽と拍子の論を演ぜんとする由話がある。相場の話もいろいろあつた。醋酸会社は近来余り面白からぬ様子らしい。なんでも一ト山やつて見たい気持が充分あるやうだ。四時過に御免を被り麦酒道を通りたる途中、枯れ枝の疎林に柔らかな夕日がさして白き新芽が光を帯び其間に向の屋根がすけて見へる景色なんともいはれぬ春趣がある。麦畠の緑色も中々潤はしい。広尾通りを経て五時に帰宅した。

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例)「1905/04/23 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/872896.html(閲覧日 2024-05-19)