1905(明治38) 年4月14日

午前はかき物でくらす。午後思ひ切つて兜町に出掛る。是は波児的艦隊出現以来九鉄は段々下押して五十八円台となつたから此際買戻した方が得策と考へたからである。行きがけに宗十郎町の床屋で頭を刈らせるため大分待たされる。通りで電車に乗込み日本橋にて下り丁酉に立寄つたが洲戸は不在である。夫からあちこち探して漸く中島の店が見つかり八・三〇位なら買ひ戻して差支へない事を頼む。果して出来るか分らぬが出来なければ元々の事である。三時過になり濠端線で高商に赴く。今日は臨時休業なれど自転車を取りに行つた訳である。四時帰宅。夜藤島の友人の猿渡という人が尋ねて来て仏語の口を依頼した。

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