1905(明治38) 年4月5日

午前山内より街鉄電車に乗り日本橋まで行く途中、日比谷公園及び三菱の明地にては一昨日より延期された実業団の祝捷行列大賑ひであつた。茅場町にて下り、丁酉支店に洲戸氏に面談。九鉄株売払ひの事を頼む。月越しに七円台になり平和見越しもはかばかしからぬ故一ト先づ手放する事に決したのである。早速電話で午前の相場を問合せてくれたが意外にも一円上りで八円五十銭になつたという事である。依て其指価を以て六月期にて売払つてもらう約束をした。若し是が昨日話したのであつたならば見すみす拾円の損になるところであつた。併し妙なもんでこうなつて見るとなんだかまだ上りそうな気のするもんで今日出来なければいゝと思ふ位であつた。兎に角スペキュラッションを実地にやつて見たのは是れが始めてゞあるがどんな結果になるにや、一寸面白いもんだが実際有害な事には相違ない。龍ノ口まで歩き途中斎藤知三氏に出逢つた。電車にて山内まで来て十一時半に帰宅。午食後直様目黒に自転車を取りに行く。長坂下より十銭で三光坂の下まで人力に乗り田圃路を歩いて麦酒会社の裏に出る。花はないが春野の気持中々いゝもんである。目黒では父上は早稲田のお留守。すみは二年級の教科書を買つてもらつて大喜び。此頃時々脳充血を起して卒倒する事があつて医師より気を詰める事は禁じられとのよねの話。何でも是はあんまりきびしく育てんとするため無心の小児の神経を衰弱せしめたる結果に相違ない。此孤児の如きは直に非家庭主義の犠牲となりたるものにて実にかわいそうであるが是も成り行で仕方がない。追つてそれを償ふ時期もあろうと思ふ。三時に帰宅。先日少々雨にぬれて銹が出たので手入れをする。此前に古物を買入れた風呂を始めてコウクスにてわかして見た。不経験のため大に手間取り漸く五時にはいつた。夜は熱気。

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