1905(明治38) 年4月3日

大祭で実業団体の大祝捷会を催す筈であつたが此雨ではお流れだろう。高商のボート会も昨日の日延べが又雨でどうなつたか到底だめだろう。美術学校の恤兵展覧会も同様不景気に相違ない。予は終日家居、光風原稿に著手す。夜雨中なれどこまに促されて麻布亭に源氏節を見に行く。拾銭で芝居の直似が見られるので中々大入りである。芝居が始まるや否や忽ち殺人を演じたには閉口。所謂武士道の教育はこんな事で間断なく施されて居るのだと思つた。事柄は越前のお家騒動で形の如き悪者、愛妾、忠臣の腹切はりつけの場までもある。西洋人がいくら研究しても分らない軍人教育の真相は畢竟こんなもんである。役者にはたつた一人見られるのがあつた。此女役者の手踊りなんか面白い所があるに相違ない。源氏節の本人岡本美登松なるものゝ本芸は充分に見えないが唯地語りを一人で引受けるまでの事である。はねは十時過ぎになる。

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