1904(明治37) 年6月11日 Saturday


六月十一日 土曜 雨

今日から入梅であるが如何にも霖雨の空合になつて来た。三四日前までは天気は不定で晴れさへすれば必ず風になるのであつたが風は止んで蒸暑いやうな心地になる。昼後は少々早目に風呂を仕舞つた処が三時過に竹沢が来た。仏国種の苣萵を沢山に持つて来て呉れた。五時頃に小泉来り早速に始まる。小代は迎にやつたがとうと来なかつた。余り俟つて閉口した事と見ゆる。七時過には森元の怒り上戸もやつて来た。今後の戦況は激烈を極め小石川の優勢当るべからず。解散の例刻になつたところが、丁度雨勢猛烈なるため退陣する事不可能殊に小石川に取つては所詮今から帰つて行かれず。他はこれにひかされてしかも明日は日曜日で遂に夜を明すに至つた。珍らしき出来事。

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1904/06/11 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871451.html(閲覧日 2024-05-10)

同日の「黒田清輝日記」より
 六月十一日 土 雨
 小西氏午前十一時来診 御容体ハ御脈拍ニ付テ少シク申分有ルノ外総テ宜シキ方ナリトノ事也 十二時頃白尾氏ノ妻君鯛一尾持参見舞トシテ来訪 一時頃ヨリ山芳翁書割及左団次最後ノ演伎見物ノ為メ明治座ヘ出懸ケ夕刻帰宅セリ 不治ノ病ニ罹リ居ルノ身ヲ以テ力メテ舞台ニ登ル左団次ノ心中思ヒ遣ラレタリ 夜ハ一時過マデ例ノ遺事録取リ纒メ方ニ従事セリ 芝居ノ外題ハ敵国降伏ニテ時節柄適当ナレドモ入場者至テ少シ 故ニ左団次ノ為メ一層気ノ毒ニ感ジタリ
六月十一日 土 雨