1904(明治37) 年6月3日 Friday


六月三日 金曜 晴

今日からめつきり暑くなり夏向きの日が当る。朝八時過に飯倉の万長に仕着せの買物をなし五円斗余つた。それから輪を飛ばし目黒に御見舞をした。園内は全く夏景色になつて松虫がガラガラ鳴く。緑豌豆飯上出来ロースビーフ御馳走又小供貯金に拾円入金す。父上は征露気焔が盛んである。三時半から帰宅する。五時半食事半はに小代と小泉来襲鳴戸鮨の丼飯で団洲先生得意になる。

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1904/06/03 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871411.html(閲覧日 2024-05-10)

同日の「黒田清輝日記」より
 六月三日 金 晴 風有リ
 小西氏来診ナシ 母上御容体御気分等至テ御宜シク被為入ト雖ドモ少シク水腫ノ気味ナリ 此事ニ就テハ巳ニ疾ク小西氏ノ注意セラレシ所ニテ昨日尿ヲ調ベ見ラレシニ腎臓ニハ何ノ故障モナシトノ事ナリシ 然ルニ御水腫ハ昨日迄ハ極メテ少シ許ナリシガ今日ニ至リテ幾分カ増加シタルガ如クナレバ甚ダ心配ナリ 腎臓ハ健全ナリトセバ差シタル事モナカル可キカ 本日ハ午後ニ於テ笄町静子殿 合田夫人并ニ青山ノ清子等女客有リシノミ 少シク文蔵様ノ御肖像ノ修正ヲ試ミ亦第二ノ芍薬ノ図ヲモ描キタリ 夜ハ八時頃ヨリ十時半頃マデ斎藤氏ト遺事録ニ従事セリ 本日ハ俄ニ暑サヲ覚ユ 故ニ皆々衣服ヲ革リ拙者ハフラネルノジレニフラネルノ単衣丈ニテ終日汗ヲ催セリ 下婢共ハ白地ノ浴衣姿トナリタリ
六月三日 金 晴 風有リ