十一月二日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)かきかけのゑもだんだんすこしづゝできあがつていきますからおもしろいことです なニしろらいネんかぎりのことですから一しようけんめいニなつてほネををつてをります かごしまニかへつたらぜひさくらじまにいつてとうぢばのゑをかきたいもんだとおもつてをります につぽんへかへつたらかきたいものがたくさんでてくるだろうとぞんじます こまることニはにつぽんにハせんせいがないのとかいたゑがうれないのとです(中略) いつかおくつてあげましたおゝきなゑももうとつくについてをることゝぞんじます いまあれとおんなじおゝきさのを一まいにはでかいてをります(中略) くめさんはぶれはじまニやつぱりをります かわきたといふゑをかくひともそのしまニいつてをります わたしがいつていたころニハなつのことでしたからあそびニきてをるひともたくさんございましたがこのごろハもうみんなかへつてしまつてくめたちがふたりだけになりしづかでいゝことだそうです(後略) 母上様 新太拝
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本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
五月一日 月 晴 四時仏美術展覧会初日 晩餐 内相 青 水 小笠伯 南次官 至十一時 午前内相官邸 外務省 午後水野子河田町 研究会