本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年4月12日

 四月十二日 金 晴 ポルトサイド (欧洲出張日記) 五時半ポルトサイド着 七時半頃上陸 市中見物 写真を二三枚写す 九時半頃帰船 十一時半出帆 カナルにかゝる 七時イマイリヤ湖に入 五時半スエズに着く 今夜カナルの両岸に虫の声聞ゆ 二十一度也

1901(明治34) 年4月13日

 四月十三日 土 晴 スエズ (欧洲出張日記) 七時頃スエズを発す 思の外涼し 寒暖計十八度なり 午後少しく暖くなる 四時頃二十三度也 夜十一時頃二十五度 今夜林 久米と三時頃まで甲板で話す 月波に映て見事也

1901(明治34) 年4月14日

 四月十四日 日 晴 (欧洲出張日記) 昨晩暮方にスエズ湾をはなれて紅海に入る 今朝九時半頃に起きた いよいよ熱帯らしき気候に為つてきた 寒暖計二十七度 夜林氏の医術談有り

1901(明治34) 年4月15日

 四月十五日 月 晴 (欧洲出張日記) 今日白衣に被更ゆ 風あり 白波見ゆ 然し船はあまり動揺せず 正午暑さ二十九度也 夜林氏と忠実の説等を聴く

1901(明治34) 年4月16日

 四月十六日 火 晴 (欧洲出張日記) 朝少しく曇 風有り涼し 海の様子ハ昨日に異ならず 温度も昨日に同じ 終日処々に島を見る 行違ふ船もなし

1901(明治34) 年4月17日

 四月十七日 水 晴 ヂブウチ (欧洲出張日記) 朝四時ヂブウチ着 六時四十五分はしけに乗込上陸 市場ナド見物 九時頃帰船 二時頃ヂブウチ港解䌫 正午二十九度半 夕方風あり至て涼し

1901(明治34) 年4月18日

 四月十八日 木 晴 (欧洲出張日記) 風あり割合に涼し 正午寒暖計二十八度也 夜仏領東京行の建築師モリス氏と長く話す 今日限にて当分煙草をやむ

1901(明治34) 年4月19日

 四月十九日 金 晴 (欧洲出張日記) 朝少しく横揺 八時半頃スコトラ島を左手に見る 寒暖計正午二十八度 四時頃に二十九度となる 海面ドロリとなつてる 飛魚飛ぶ 群をなして飛ぶ事雀の如し 夜林氏に一二の商業家に就ての話をきく 又和洋の占の話あり

1901(明治34) 年4月20日

 四月二十日 土 半晴 (欧洲出張日記) 正午寒暖計二十九度 風少なく暑し 午後曇 夕刻より風も増して涼し 夕空見事也 夜林氏青年時代の話よりオンタリテの著述に志せし事などの話ありたり

1901(明治34) 年4月21日

 四月二十一日 日 曇 (欧洲出張日記) 雲多く曇也 正午寒暖計二十九度 午後三時頃盛なる夕立来る 雷も少しく鳴る 林氏ジヤバ支那旅行の話をきく

1901(明治34) 年4月22日

 四月二十二日 月 曇 (欧洲出張日記) 今日も雲多し 船の動揺は今度の航海中今日が一番強い 食卓の上に始めて綱を張つた 暑は三十度まで昇る 午後七時夜食の最中に夕立す

1901(明治34) 年4月23日

 四月二十三日 火 曇 (欧洲出張日記) 今日は朝から荒模様であつたが果して十二時頃から強い雨風が襲つて来た 雷も一発気分のいゝのが響き渡つた 此の雨の為に大きに涼しく二十七度位也

1901(明治34) 年4月24日

 四月二十四日 水 晴 コロンボ (欧洲出張日記) 五時三十分コロンボ着 七時過林 佐 久と四人にて上陸 レウエニアにて昼飯 一時過に立ち帰路ミユゼを見る 五時頃和田八千穂氏に町にて出遇ふ 六時会社のハシケで船に帰る 九時十五分出帆 夜 久 佐腹痛

1901(明治34) 年4月25日

 四月二十五日 木 曇 (欧洲出張日記) 正午寒暖計二十九度 波はなけれど船は揺れたり 夜林氏の室にてウヰスキの御馳走になり耶蘇 釈迦などに就て論あり 久 佐は早くねる

1901(明治34) 年4月26日

 四月二十六日 金 晴 (欧洲出張日記) 晴なれど雲は多し 寒暖計正午にて二十九度八分 風あり涼し 海は静にして船は少く動く 午後一時荒模様となりたれども少し雨ふりてすみたり 夜は蘭人の蓄音器をきく

1901(明治34) 年4月27日

 四月二十七日 土 晴 (欧洲出張日記) 今日も二十九度八分 午後五時頃スマトラ海峡に入る 夜月よし 海は湖の如し 林氏の人種論并北京風俗談ありたり

1901(明治34) 年4月29日

 四月二十九日 月 雨 シンガポール (欧洲出張日記) 正午十二時シンガポール着 佐 久 鈴木四人にて馬車で公園 博物館等を見る 日進館にて茶漬を食ひ五時半帰船 同六時出帆

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