本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年9月1日

 九月一日 (箱根避暑旅行日記) 風未だ止まず 又霧の如き雨降る 三週間此の方おなじみに為りたる近所の老婆連 小学校教師等に別を告げ母上のみ竹輿に乗り給ひ其他の者は皆徒歩にて午前八時半頃出立す 宿屋の下女共は権現坂上の鳥居の処迄送り来れり 武蔵や亭主小林善次郎は其処迄其処迄と云て遂に畑宿まで来りたり 油屋といふに休息す 時に十時なり 元箱根村を立ちし時にハ雨は止み居たりしが二子山の前を過る頃に少しく振り出したれども傘を要する程にも非ざりし 此の畑宿にて又振り出す 此の度ハ傘をさす 五六町下り雨は霽れたり 須雲村を過ぎ忍が滝に対する崖際の掛茶屋に休む 同じく此処に休足し居たる梨商人の梨を一個五銭にて購ひ食ふ 味甚だよし 十一時半頃湯本福住に着す 今夜は此処に一泊する事ニ決し逗子養神亭へ明日行く旨の電報を発す 午後時々雨ふる 土産用の細工物の買入等にお伴を為す 不思議なるハ此の細工物の価にして元箱根などの如き処にて職工より直接に買ふよりも寧ろ此処の売店にて求むる方却て廉なり 此の福住楼にても本月十七日より茶代を取らぬ事に極めたるよし 部屋毎に此の事を掲示し又各客室の値段を一々記載したり 吾々が番頭に導かれて入りたる座敷は蔵造の如き処の二階にて即ち先日泊りたる処の一階下なり 此の二階に四間あり 最上等とも云ふ可き北方の九尺床のある一と間は一日金五円其次の西方の六畳敷は金七十五銭なり 今回吾々が占領したる座敷は南方の二た間にして先づ中等の座敷なり 床は小床にて横物を掛けたり 広き方は八畳にて金二円五十銭狭き方は金一円也 此の二間は最上等の五円の座敷と並びたるものにて東向の縁側と云ふ可き一間幅の一段低き処にも畳を敷きたれバ六畳も九畳の広さに為り広々として具合よし 弥全く茶代の弊風を改めて席料を取ることゝせしならバ只客の面附を観て番頭の意見を以ていゝ加減の座敷に案内するを止めて予め客の好む処を聴き而して後相応の室を与ふることゝ為したきものなり 然らざれバ一日十円の座敷とハ知らず大平楽を極め込み気附いて急ち唖然 遂ニ雨を侵かして走るが如きの失体を演ぜしむるに至るなるべし 元箱根の住居も今日にて先づ一段落を着けたり 滞在中の満足と不満足とを差引勘定して残りたるものハ武蔵や主人が畑宿まで送り来りたる足労に対する感謝の意是也

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