1901(明治34) 年5月9日
五月九日 木 霧雨 (欧洲出張日記) 寒暖計十四度に下る 霧が強く潮時が悪いので此の岩礁の多き場所で船を動す事の出来ぬとかで昨夜は其儘で今朝まで居すわり漸く十一時に進行を始む 此処から呉淞までハ七十マイル位有り 午後四時頃呉淞に着 検疫彼是にて暇を取り食後ハシケに乗り九時上陸 林 久 鈴 佐と五人にて直に東和洋行に行 東和の主人吉島の案内にて十一時頃より日本料理屋六三亭にて飲む 十二時に切上げ林氏を残して帰る 間もなく林氏も帰り来る
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
五月九日 木 霧雨 (欧洲出張日記) 寒暖計十四度に下る 霧が強く潮時が悪いので此の岩礁の多き場所で船を動す事の出来ぬとかで昨夜は其儘で今朝まで居すわり漸く十一時に進行を始む 此処から呉淞までハ七十マイル位有り 午後四時頃呉淞に着 検疫彼是にて暇を取り食後ハシケに乗り九時上陸 林 久 鈴 佐と五人にて直に東和洋行に行 東和の主人吉島の案内にて十一時頃より日本料理屋六三亭にて飲む 十二時に切上げ林氏を残して帰る 間もなく林氏も帰り来る