1904(明治37) 年9月8日
九月八日 木
四十日祭執行
昼頃日本画の生徒毛利落第生のため請願に来る。午後山本芳翠従軍につき旅費の調達を頼みに来る。止むを得ず会の預金中より百円を貸し与へた。美術学校会計野田義守の葬式に会するため関口駒井町大泉寺に赴き五時過に帰宅す。八時半芳翠の出発見送のため新橋停車場に至る。後合田と新橋のビアホールに休み黒田の紛事落着の由を聞く。(九月八日 晴)
九月八日 木
四十日祭執行
昼頃日本画の生徒毛利落第生のため請願に来る。午後山本芳翠従軍につき旅費の調達を頼みに来る。止むを得ず会の預金中より百円を貸し与へた。美術学校会計野田義守の葬式に会するため関口駒井町大泉寺に赴き五時過に帰宅す。八時半芳翠の出発見送のため新橋停車場に至る。後合田と新橋のビアホールに休み黒田の紛事落着の由を聞く。(九月八日 晴)