1904(明治37) 年10月14日 午後商業学校で黒田の手紙を受取り、今夜は生洲で川路の知事さんと会食の趣通知したから、帰宅入浴後正六時料理屋に出掛けた処誰も居ない。一時間余り待ぼうけで馬鹿を見た。七時過になり皆やつて来た。川路の同行は女婿糸川という人と煙草専売の佐々という男とであつた。飯が始まつてからは佐々の家庭気焔で閉口した。糸川は竹川町商栄館の持主で上海で一ト計画やるという話があつた。十二時過帰宅したが小泉翁は留守中待つて居たとの事でお気の毒。 続きを読む »