1904(明治37) 年10月3日 一ツ橋は雨中人力車で行く、帰りは霽れ電車にて帰る。午後天気になつたから自転車で目黒に赴く。用向は区役所から毛布寄贈の勧告が来たので古いのを一枚探すためであつた。丁度目黒でも同様の事で算段中であつてよねが有る丈の古毛布を物置から出して来るのを調べて青地の大ケットを貰ふ事にした。父上は例の醋酸会社の成功を予想して大気焔である。十年の後は七八万の資産が出来る目算であつた。柿や栗を食して満腹五時に帰宅す。三田のブリッキ屋が来て居て雨樋の取替へ方で積り直段十二円余(凡四十間として)にて注文する。夜正木氏への手紙を終り明朝シャートル便にて出す筈。 続きを読む »