1902(明治35) 年2月2日
二月二日 日 午後偕行社ニ於テ催サレタル日清戦争第二軍紀念宴会に出席す
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月二日 日 午後偕行社ニ於テ催サレタル日清戦争第二軍紀念宴会に出席す
二日三日 月 午後文部省に於て図画取調ニ就第一会の会議
二月七日 金 巴里パンテオン会の飛火会を午後七時より築地三ノ十五同気倶楽部に開く 来会十一人
二月十日 月 文部省会議
二月十二日 水 母上午後二時過の汽車にて鎌倉橋口家へ向け御出発
二月十三日 木 小林新一郎氏に招れ柳橋亀清楼に行く 昨夜より雪
二月十六日 日 久米 合田 佐野 中丸 伊藤の五人と自転車にて雑司ケ谷辺ヨリ飛鳥山へ出田畑根岸へ廻る
二月十七日 月 自転車修繕の為合田同道三田四国町へ行 午後二時より文部省ニ於て会議
二月十八日 火 午後五時過より斎藤甲山先生来 漢学稽古
二月十九日 水 夕刻押川氏 鈴木貫一郎氏を訪ふ 夜自転車にて三河台町小代方まで行く
二月二十日 木 夕刻より漢学
二月二十一日 金 始めて自転車にて学校へ行 帰路山口勝氏 仏公使館 Andre 氏夫妻ニ逢ふ
二月二十二日 土 自転車旅行の催有り 午後一時を期し品川停車場前の茶見世に会す 来る者久米 佐野 菊地 小代 中丸 小林 合田及拙者の八人也 旧東海道筋を走り横浜を経杉田に到る 此処にて月の出を眺め山を越え金沢東屋ニ一泊
二月二十三日 日 今日も天気よく至て暖か也 十一時頃金沢を発し十二時頃逗子に着 養神亭別荘に休み夫れより鎌倉ニ行き角正にて昼飯 三時前同処を立出つ 戸塚近くなり自転車破損 小 菊の二人と汽車にて帰る(五時二分発)
二月二十四日 月 午後文部省へ行
二月二十五日 火 午前学校 夜六時過より溜池にて仏語教授
二月二十六日 水 午後かりんとうやを相手に画をかく
二月二十七日 木 午前一時間許かりんとうやを画く 夕刻より漢学 午前午後及び夜の十二時まで客有り 〔図 春秋図画稿―秋〕