本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1888(明治21) 年12月6日

 十二月六日附 パリ発信 父宛 葉書 今日ハ甚だ繁しく端書にて一左右申上候(中略) 丁度日本の手紙日に美術学校にて講義有之候間一層繁しき事ニ御座候 余附後便候 早々 頓首 父上様 清輝

1888(明治21) 年12月28日

 十二月二十八日附 パリ発信 父宛 封書 御全家御揃益御安康奉賀候 私事大元気にて勉強罷在候間御休神可被下候 去二十三日より昨日迄例のバルビゾンと申田舍に友人(米人一人英人二人)三人ト出掛ケ毎日山の中を散歩仕候 大ニ愉快相極め申候 二十五日ハ耶蘇の降生日ト当地にて名ヅクル日にて西洋一般大祭りに御座候 同日の夜ハ田舍の旅店ニテシヤンパン酒などの御馳走有之客人亭主共都合二十人計りにて皆々歌を歌ふやら又西洋人の得意なる踏舞をするやらにて大騒き致し候 私も人ニすゝめられ致し方なく霜満□□(原文不明)云々の詩を大声にて歌ひ申候 異人等大によろこび候 踏舞ハ日本ニ無き者故なかなか真似をする事難く只人の踏舞をするのを見て馬鹿げたる者なりと思ひながら見物するの外無御座候 今四五日にて正月と相成事なれば御地ハ例の如ク色々な儀式の為に御繁しき事と奉存上候 先ハ御歳暮迄 早々 頓首 父上様 清輝拝  御自愛専要奉祈候  皆々様へ宜敷奉願上候

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