1905(明治38) 年4月10日 Monday


四月十日 快晴

今日は余りに気持がいゝから岩村の処に出掛けて散歩を進めて居ると丁度小代も来り菊地を音づれ、四人で出掛る。大人も同行の筈なりしが新聞社の都合で来られず残念であつた。青山学院から渋谷停車場を経て宮益の通りで蕎麦屋に入る。こちらは全くカルチェーミリテールとなつて繁昌して居る。此蕎麦屋なども兵隊あて込の奇妙な給仕女なんか居る。これからどこという目的もなく代々木の方向に進んで行く。青岡園の牛乳所で乳を飲む。此家の主婦青んぞうの若い女で色々もてなした。横手の隣に新築中の小別荘が見へたがあれは鍋島さんの御家老の家だといつた。こゝを出で土手についた田圃路を行くに風なく日が暖かて何ともいはれぬ気持がする。菊地の旦那久米氏の煙草製造所の脇を廻つて同氏の家敷の前を通り菊地の案内で庭を見る。芝山で足を出して休息した。帰り掛け三太夫の福島というが出て来てお茶を呑まされた。やがて礼をいうて出ると裏口の処で犬が三疋待伏せをして吠へかゝつたのはおかしかつた。甲州街道に出で銀世界の前で団子を喰つてこゝから堀之内の方に向つた。晩飯はしがらきのノツペーと極つたからである。堀之内へは一里余りであるがまだ日が大分高いやうだからそろそろ歩く、菊地は余程疲労の体で屡々休む。モー八町ばかりしかないという処で左側の漬物屋へ一同お土産の折を求めそれを提けてしからきへはいる。先以ノツペーを注文する。大した結構なものではない。ぬたに差し身、玉子焼なんかで一人前三十何銭は高くない。中野で七時過の電車に乗り新宿で街鉄の車に移り三宅坂にて青山線に乗替へ無事に帰宅。久し振りでいゝ散歩をやつた。

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例)「1905/04/10 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/872826.html(閲覧日 2024-05-19)