1887(明治20) 年7月8日 Friday 7/8 Vendredi Après-midi je me suis occupé à écrire une lettre pour Japon No 16. J’ai reçu à 5h une lettre du Japon No 34. 8h du soir Foudji est venu et il s’en est allé à 11h. (和訳)七月八日 金曜日午後は日本への第十六号の手紙を書いて過ごす。五時に日本からの第三十四号の手紙を受け取る。夜八時に藤が来て、十一時に帰る。 引用の際は、クレジットを明記ください。 例)「1887/07/08 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) (日本語訳:齋藤達也) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/864906.html(閲覧日 2025-04-29) 同日の「黒田清輝日記」より 七月八日附 パリ発信 父宛 封書 (前略)先日公使館ニテ承リ候処御尊公様ニも今般華族ニ相成リ被成候由御目出度御歓申上候 公使館などにて黒田が華族の子になつたりなどゝ馬鹿にさるゝ事ニ御座候 海江田様にも至而御壮健 先日より私教師元老院議官カゾ氏に頼み仏国ノ法律ニ付テノ話ヲ御聴なさる事ニテ私わからぬながら通弁致し居候 毎日講義一時間づゝ有之候事故海江田様には随分御難儀御退屈と奉存上候(後略) 父上様 清輝拝(七月八日附 パリ発信 父宛 封書) « 7/5 Mardi 7/9 Samedi »