文化財に筆を載せるまで

文化財に対して何らかの修復作業をすることが決定したとして、実際にその作業を行う前にはさまざまな実験や試行錯誤があります。ですが当然、それは修復された文化財などからは見えてこないものです。このコラムでは、私が保存修復を学ぶ中で繰り返してきた練習のうち、カラーマッチングと呼ばれる作業についてご紹介します。
例えば陶器の欠けを修復する際に、充填材料に着色して見た目を整えることがあります。このために絵具などを混ぜて適切な色に調整していく作業をカラーマッチングと呼びます。
このような場合、色を補う作業は欠失箇所にだけ行うのが大原則です。欠失箇所に塗った色がそぐわなかったからといって、周囲に色を塗り広げてごまかすことはできないので、カラーマッチングであらかじめ適切な色を作ることが重要になります。また「適切な色」はそれぞれの文化財によって異なります。周囲とできる限り同じ色を目指すこともあれば、欠失する前の色が不明な場合などは色を塗らないことが適切とされることもあります。ともあれ、学生時代の授業では絵具を混ぜて目標の色にできるだけ近づける練習を繰り返させられました。

写真は私が初めてカラーマッチングの練習をしたときのものです。色見本から色を選び、アクリル絵具を混ぜてカラーマッチングを行いました。画質が悪く見づらいのですが、ご覧の通りかなり失敗しています。特に左下の緑は完全に色が違っており、これではかえって目立ってしまいます。上段中央の黄緑と上段右の黄色は狙った色より濃くなってしまいました。アクリル絵具は乾くと色が濃くなる傾向があるので、パレットの上では良くても塗ってみたら失敗ということもあります。

こちらはより実践的な練習として、かごの切れている箇所に着色した和紙を接着したケースです。左の写真ではカラーマッチングにも失敗していますし、接着後に再調整しようとして周囲の本体部分にも色がついてしまっています。
右の写真ではカラーマッチング自体はある程度成功していますが、もう少し透明度の高い絵具を使うべきでした。また、色を塗り重ねたことで和紙の繊維が縒れて目立ってしまいました。筆で色を塗るのではなく、先に和紙を染めておけばより良い結果が得られたかもしれません。

右:絵具を塗りワックスでツヤを出した状態
次は、実際に陶器の修復を行うのに先立って、手近なお皿を使って試してみた例です。白いお皿に白い修復材料を使いましたが、そのままでは全く違う色です。白・茶色・黄色などのアクリル絵具を使い、これまでの経験を踏まえて薄めに色を作って何度か重ねることで調整しました。
修復作業をしている最中は、とかく色をつけた箇所にばかり目がいってとても目立っているように思えてしまいますが、修復作業者の目の距離で鑑賞者が見ることはほとんどありません。作業中はときどき目を離して全体を眺め、あるいは見る角度を変えても修復箇所の色が違って見えないか、鑑賞者の目線で見てみることが大事です。
このような失敗や練習を経て、私の技術はどれほど上達したのでしょうか。最初にお見せしたカラーマッチングの練習から3色を選んでもう一度挑戦してみたいと思います。特別な道具は要らないので、良かったら皆さまもお好きな色で試してみてください。
【必要なもの】
・色のサンプル
・画用紙
・絵具(白、黄色、赤、青があれば大抵の色は作れます)
・筆(前日に洗って乾かしておくと良い)
・パレット
・筆を洗う水
・キッチンペーパーなど筆を拭くもの
最初の練習で選んだ色のうち、緑(Grass Sands)、青(Galaxy Blue)、黄色(Butter Ridge)を印刷して画用紙に貼ります。

使用したアクリル絵具は以上の通りです。後から紫の絵具(リキテックス ディオキサイジンパープル)も少し足しました。
では、緑から始めましょう。まずは青と黄色を適量混ぜて緑を作ります。Grass Sandsはかなりくすんだ色なので、緑の反対色である赤を混ぜて鮮やかさを落とします。黒の絵具を混ぜてしまうと色を再調整することが難しくなるので、基本的には使いません。

右:赤を加えて色をくすませた様子
右が赤を混ぜたものです。くすんだ色になりましたが、色が濃すぎるので今度は白を混ぜて調整します。また少し青みが強いので、黄色を足します。目指すものに近い色ができたら少し塗ってみて、乾いたときの色を確認しながらさらに調整していきます。

他2色も同様に混色し、このような結果が得られました。ようやく成功例をお見せすることができたでしょうか。
実践される場合は汚れてもいい服装で、また重金属などを含む絵具を使用する場合はビニール手袋を着用して作業することをお勧めします。
色を混ぜては乾くのを待つことを繰り返していたら、1色の調整に30分以上もかかってしまいました。実際の修復作業では、1色をベタ塗りするのではなく細かく塗り分けることもあるので、一つの工程だけでもたくさんの時間がかかります。ここでご紹介したのは様々な修復技術のほんの一例ではありますが、修復を終えた作品を見ただけでは気づかないような作業の一端に触れていただけたなら嬉しいです。
石渡美鈴
トップ画像:実際の修復でカラーマッチングを行ったあとのパレット。青地に金色の模様も再現したので、パレットの上で色の見え方を試行錯誤しています