「フィレンツェの歴史地区」:バッファゾーンとワイダーセッティング

トップ画像。フィレンツェの歴史地区を望むテラスのベンチに一人の青年が座っている

世界遺産には周辺における開発行為等のインパクトを直接受けないよう、資産の外側に一定の保護範囲が設けられますが、近年この範囲についての考え方が大きく進化しているのをご存じでしょうか? こうした動きを受け、今年度の世界遺産研究協議会ではバッファゾーンとワイダーセッティングに焦点を当てた討論を行いましたが、両者の役割や違いについての明確な理解はまだ得られていません。また、一定の広がりをもつこれらの範囲の設定が、点的な保護を柱としてきた日本の法制下では実務上非常に難しいとの指摘もありました。では、面的な保護を標榜するイタリアではこれらの範囲が一体どのような意図で設定されているのか、その一例をご紹介します。


世界遺産「フィレンツェの歴史地区」は、中世に築かれた城壁の内側にほぼ相当する532ヘクタールの範囲です。この言わずと知れたルネサンスの一大中心地は、大聖堂やヴェッキオ宮殿などの建築物、また教科書にも登場するウフィッツィやアカデミア美術館などの収蔵品といった人類にとってまさに「顕著で普遍的な」遺産の宝庫です。文芸復興運動が盛期を迎えようとする1471年、この町を象徴するブルネッレスキの丸屋根に頂塔が完成しますが、フィレンツェ出身のフランチェスコ・ロッセッリ(当時23歳)は、郊外から都市を眺めた木版画の制作を開始します。写真1は、それを基に1887年に描かれたテンペラ画ですが、聳え立つ大聖堂をはじめとする記念物や町の甍とともに、城壁外の集落や田園、さらには丘陵に点在する宗教施設や別荘等が多く描かれています。彼が表現したこの都市と周辺との不可分な関係は、フィレンツェのバッファゾーンとワイダーセッティングを設定する際の基盤になったほか、村落や都市、国を指すpaeseという語幹と、大きさや広がり、結合性を表す接尾辞-aggioからなるイタリア語の「景観」、すなわちpaesaggioという言葉の意味をよく示していると思います。

写真1
写真1:フランチェスコ・ロッセッリ[1471-1482]『鎖の地図(Pianta della Catena)』を基に制作されたテンペラ画[1887] ヴェッキオ宮殿蔵[1]

フィレンツェでは、1982年の世界遺産登録から33年が経過した2015年に初めて、バッファゾーンとワイダーセッティング(と考えられる範囲)が設定されました。バッファゾーンは資産周辺の盆地地形を考慮しつつ、前段に述べたような文化遺産(文化財と景観財)と指定外の物件からなる様々な要素を取り込んだ10,453ヘクタール(資産の約20倍)の範囲で、先ほどの絵でいうと最初の丘陵の稜線あたりに及びます。このように、近年のイタリアにおけるバッファゾーンの設定には、資産から周辺に広がる文化的、自然的な価値を一体的に扱おうという意図が窺えます。またバッファゾーンでは、計画(管理計画と眺望計画)に基づく62か所の眺望点、さらにその中から18か所の重要眺望点が特定され、各地点から(水平視野や垂直視野を計算して)見える範囲を4段階に分けたものがビジュアル・コーン(視覚上の円錐)、そしてそれらを一つにまとめた範囲がワイダーセッティングとなっています。ちなみに、画面右下の赤い服を着たフランチェスコ青年が下絵を描いている丘(モンテ・オリヴェート)も重要眺望点の一つです。ワイダーセッティングは、この絵でいうと背景の青い山稜に及びますが、その設定の意図は、これら多くの要素からなるフィレンツェの輪郭線(スカイライン)、つまり都市の像(イメージ)を保護することにあると同市の職員から聞きました。私たちは、この「像」から資産とその周辺にある文化遺産との繋がりや関係性を見て取るわけですが、イタリアではこれらを「文脈(contesto)」という言葉で表現することがあります。


すべての重要眺望点には市民が自由に(無料で)アクセスでき、また多くが教会、広場、別荘といった歴史的に重要な場所(やその付近)に設定されています。写真2は、フィレンツェ北郊・フィエーゾレという町にある庭園付き別荘(世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家別荘群及び庭園群」)の一つですが、ルネサンス時代の空中庭園の多くは、眼下に広がる農業景観を眺めながら芸術活動の思索に耽る場所として作られました。なお、この別荘自体は現在でも私邸(有料で見学可)であるため、重要眺望点はこの真下にあるイトスギが植えられたテラスに設定されています。トップ画像は調査でここを訪れた際のものですが、このフィレンツェの町並みを見下ろすベンチに高校生か大学生と思しき青年が腰掛けて勉強を始めた姿がとても強く印象に残り、思わずシャッターを切りました。私の目には、彼が恰もフランチェスコ・ロッセッリのように映ったからです。15世紀の青年が当時フィレンツェの眺望にインスピレーションを得て創作活動を行ったように、21世紀の彼もきっとこの景観からメッセージを受け取っていることでしょう。フィレンツェのバッファゾーンとワイダーセッティングは、文化遺産を保護する目的や意味を改めて考えさせてくれるように思います。

写真2。町を見下ろす丘陵に建っている庭園付き別荘
写真2:フィエーゾレのメディチ家別荘

松浦一之介

トップ画像:重要眺望点「フィエーゾレのメディチ家別荘」付近のテラスからフィレンツェの歴史地区を望む


[1] https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c9/Firenze%2C_pianta_della_catena.jpg より転載 ©パブリックドメイン