日本の遺産保護を知る
何よりもまず、私が日本への第一歩を踏み出した思い出を紹介したい。 2019年、私はパリ・ラ・ヴィレット建築学校で学んでいて、ある日の建築史の授業に出席していた。その日、教授は日本のメタボリズムの思想とプロジェクトを取り上げて、唐突に黒川紀章の中銀カプセルタワーをスクリーンに映し出した。革新的で摂理にかなったコンセプトと象徴的な美学。私は一瞬にして、この建物に魅了された。その後、いくつかの文献を調べて、このタワーが危機に瀕していることを知った。私はそれを信じたくなかった。このタワーをみたかった。だけど、それは自分の環境からとても遠く離れたところにある。その日は私にとって極めて重要な日になった。日本に行ってみたいという気持ちが芽生え、その思いは徐々に強くなり、明確な願望となり、2022年の冬学期に早稲田大学に1年間留学することを決意した。
こうして私は、新しい国での第一歩を踏み出した。 その豊かな文化を垣間みながら、大学に8ヶ月間通う中で、私を魅了するものが何かを深く知ることができるインターンシップに参加すれば、私の留学をもっと有益で豊かなものにできるのではないか、と考えるようになった。文化遺産保護-しかし、その時私は、日本の文化遺産保護について何の知識ももっていなかった。
私はまず指導教官の中谷先生に相談し、結果として東京文化財研究所(東文研)にたどりついた。東文研は文化庁の独立部局で、主に日本美術、東洋美術を対象にして、有形無形の文化財や保存科学、修復技術に関する研究を行っているところである。
インターンシップに参加できることになったとはいえ、何をすべきか、まったく見当がついていなかった。私はまったく新しい世界、遺産保護のプロフェッショナルの世界に入りこもうとしている。まだみない世界に少しでも貢献するため、どんな仕事にも熱意をもって取り組む覚悟が必要だった。
一方で、私は日本の遺産保護に対する好奇心に満ちていた。日本というフランスとは異なる社会の中で、歴史的、文化的な景観に欠かすことのできない建物は、いったいどのような保存の努力が行われているのか、興味深々だった。日本の建築遺産は、ものとしてどのように守られているのか?その担い手は誰なのか? 彼らは今どのような課題に直面しているのか?フランスと比較して文化遺産の考え方に独自なところはあるのだろうか?私の大きな関心は、 建築保存の具体的なプロセスと方法を理解することだった。
インターンで学んだこと
私のインターンシップは2023年7月1日に始まり、早稲田大学の科目と両立できるよう、週3日のスケジュールで1か月間行われた。それぞれの仕事を通じて、私は日本の歴史の変遷を構成するさまざまな時代と建築様式をたどることができた。江戸時代の伝統的民家から原広司が設計した現代住宅まで、また明治から昭和にいたる産業史を通じて、このインターンシップは日本の進化を鮮やかに描き出していた。
現地での職場体験は、私にとって知識を深め、日本の芸術的、歴史的遺産を学ぶ貴重な機会となった。これらの訪問は、私に具体的な経験を与えてくれた。煉瓦のような日本にとっての新素材を使った明治時代の近代建築から学ぶことも多かったが、日本の伝統的な建築とその保存の方法についても具体的に学ぶことができた。 日本の伝統的な建物は主に木造でつくられていて、中でも木造の梁の保存作業には本当に魅了された。フランスで参加したインターンシップでは、主に切石積みの建築の石材の保存と修復に重点が置かれていた。日本でのインターンシップは、日本で発達した木材の保存と修復という新たな視点を与えてくれた。
この職場体験を通じて、私は一つの結論を得た。日本における建築遺産保護の包括的な理念は 、ものとしてのオーセンティシティと構造的完全性を保存することを特に重視する点で、フランスのそれとほとんど一致している。様々な遺産保護の現場を訪問して、日本でもオリジナルの材料を守るためにあらゆる努力が払われている事実を知ることができた。
そして、ベニス憲章に謳われているように、建物が大きく改変されていて復原が必要になった場合、日本の修復建築家は、当時の材料の正確な再現を目指して、資料や記録の緻密な調査を行っている。
保存すべき構造体に対して行われる耐震補強工事にも、とても興味を引かれた。保存の方法の選択には、環境による影響もまた、大変重要な役割を果たしていることがわかったからである。フランスは地震が少ないため、天候によるダメージや湿気の対策といった、ほとんど自然環境だけに注意を払って、保存のための技術が考えられてきた。それとは対照的に、日本は常に地震の脅威にさらされているために、何よりも建物自体を補強する必要があり、建築家や修復家は(構造体の保存を確実にしつつ)地震の揺れに対する耐性を高める革新的な方法の考案に力を注いでいる。今回の職場訪問では、国立西洋美術館のすべての柱の直下にショックアブソーバーが設置されているという、目を見張るような事例も知ることができた。また、伝統的な木造民家に金属製の補強柱をさりげなく挿入した事例や、本庄繭倉庫の二重構造の補強も印象的だった。 こうした経験は、日仏両国における環境への配慮と文化遺産の保存および技術革新の間の生まれる複雑なバランスに光を当ててくれた。今回、現場での考察から学びえたことは、間違いなく、これから建築と遺産保存の世界を歩もうとする私の道しるべとなるだろう。
研究課題とインターンシップ
私は現在、所属するパリ・ラ・ヴィレット建築学校修士課程1年の「建築文化遺産:フランスおよび諸外国の専門知識と再利用」ゼミの一環として、論文の完成を目指した研究活動を進めている。私は、特に工業化時代の建築物の保存プロセスに強い関心をもっていたので、産業遺跡を詳細な分析の対象として選択し、ケーススタディとして、日本の長崎にある軍艦島遺跡を取り上げた。
五大陸を横断して世界に広がった産業遺産は、特別な意味を有している。その潮流が日本の名を世界に知らしめる経済の急速な成長をもたらした。日本のみならず世界の産業建築は皆、新しい生産技術の目撃者であるとともに、世界の近代化の時代を物語る証人なのである。現在、日本では産業遺産の活用も大きく進展しているようだ。
今回のインターンシップでは、明治の産業革命に関連する数多くの場所を訪れる機会に恵まれた。群馬にある富岡製糸場と埼玉の旧本庄商業銀行煉瓦倉庫は、絹織物産業の発展による国の変貌をよく示している。さらに、東京の旧三河島下水ポンプ場施設では、廃水処理という技術的な課題解決のための実験的な取組みをみてとることができる。これらの職場訪問では、日本の遺産が明治産業革命に対する私の理解に新たな深みを与えてくれた。どの現場を訪れても、その時代の社会的、経済的な変化の潮流を感じながら、建築の革新性、保存の必要性、そして修復の課題に集中して様々な考えを巡らせた。
また、これらの訪問を通して、自然の力と時間の流れがもたらす難題の中で、その安定性を確保しつつ、場所がもつオーセンティシティを保持することを目指した修復作業の詳細を間近で観察することができた。
まとめ
世界の物語という壮大なタペストリーを思い描く時、それを織りなしているのはそれぞれの国々で大切に守られてきた貴重な遺産である。私は、日本の遺産保護の中心に身を置いた経験を通じて、遺産保護とは単に建造物や美工品を安全に保存するということではなく、人々の集合的な記憶への入口を体現するものだ、という信念をさらに強いものにした。複雑で多様な遺産を保存することで、私たちは都市や地域、国のアイデンティティをより深く理解し、国家間の相互理解の絆を築くことができるのだ。
しかし、最初に紹介した中銀カプセルタワーの例がそうであるように、遺産保護の前にはいつも複雑な難題が横たわっている。歴史的建造物の活用―たとえ誰もが認める歴史的、文化的な意義があったとしても、その建物がもつ経済的なメリットの問題は、特に立地条件によっては、避けて通ることができない課題となる。時には、建物の歴史的価値を守ろうとするあまり、構造上の制約や技術的な制限、そして法外な費用が再利用の機会を狭めてしまうこともある。保存と機能性の間に否応なく生じる複雑なトレードオフ、遺産保護のための決断に二つと同じものはなく、それぞれに慎重な検討が必要であることを私たちは肝に命じなければならない。
現代のニーズを満たしながら歴史を保存するための創造的な解決策を導き出すのは、さまざまな利害関係者の緊密な協力と深い洞察を必要とする、やりがいに満ちた挑戦である。この挑戦は、過去と現在の調和の先に未来がつながる新たな道を探る中で、遺産保護がそこに継続的に関与することを表明するものだ。したがって、遺産が人々の意識に常にのぼるような努力を続け、若い世代の教育にも取り入れていくことが、遺産保護への幅広い支持を集め、そのために必要な資金を獲得するために不可欠だと、私は信じる。もちろん、歴史的建造物を保護するための確固たる法律や規制を整備していくことも重要だし、予算不足を克服するための新しい資金調達戦略を常に用意しておくこともまた同様である。
将来の遺産保護を担おうとする一人として、私は今、とても強い気持ちを抱いている―この大切な宝を未来に伝えていくことは、専門家としての責任を超越し、世界中の人々のアイデンティティへの賛辞として共鳴を呼びおこすものなのだ。
エリゼ・ルノー=シャルパンティエ