1904(明治37) 年8月28日 Sunday


八月廿八日 晴

こまを連れて十番に買物に行つた。小代に贈るべき祝ひの品なり。バツテイ出生の故なり。午後一時前より小代佐野が来て竹沢を待つも中々見へない。漸く二時半頃にやつて来た。最早時刻は遅し且竹沢は昨日房州の帰路無理をして尻が痛むというので迚も平塚まで輪行は出来ない相談となり何しろ少し斗ころがそうというので三時少し前に出発。高輪台町より御殿山を経て鮫洲に出で大森海辺の茶屋にて休息し、桃、梨子など食し、夫から又下走りで四時半川崎ステーションにて四十分余待ち五時過汽車に乗る。車中別段に変つた事もなく藤沢に六時四十分頃着、此処より再び乗輪平塚に向ふ。間もなく暗くなり燈光にて走る。竹沢臀痛を訴ふること愈甚し。馬入川の渡船、河原の砂利路等にて大分手間取り平塚停車場の踏切を超へ松原の沙路を伝ひ翁屋に投宿せしは八時半頃であつた。宿屋は評判以上で表二階の十畳二タ間を領した。万事行届いて待遇も申分なし。直様入浴後夜食には鮑の塩むしで一寸喰へる。食事をして間もなく蚊帳にもぐり込んだ。

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例)「1904/08/28 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871831.html(閲覧日 2025-04-29)