4500年前の船から古代エジプトの木の文化に触れる
皆さんが古代エジプト文明と聞いて最初に思い浮かべるのは、ピラミッドや神殿といった壮大な石造の遺跡群ではないでしょうか。でも、それは古代エジプト文明のある一面でしかありません。実は古代エジプトでは近隣地域から輸入した針葉樹や自生する広葉樹を用いて、豊かな木造建築の文化も育まれていたのです。「古代エジプトはナイルの賜物」と言われるように、ナイル川を船で行き来することは古代エジプト人の生活だけでなく、その精神面にも強い影響を与えていました。とりわけ、彼らが強く信仰していた来世(死後の世界)に赴く場面では、船が重要な乗り物として位置づけられています。
1954年に、世界最大のピラミッドのすぐ脇で一隻の木造の船が発見されました。部材ごとに解体された状態で石室に納められていたその船は、約4,500年前にピラミッドの所有者であるクフ王の葬送に伴って造られたと考えられています。「クフ王第1の船」と名付けられた船は、エジプト人修復師らの手によって1970年代に復元され、博物館に展示されてきました(2021年8月に、目下建設中の大エジプト博物館に移送)。一方、2011年からは、日本(代表:吉村作治東日本国際大学総長)とエジプト(エジプト・アラブ共和国観光考古省、大エジプト博物館)の合同調査隊により、クフ王第1の船のすぐ隣に同じように納められていた「第2の船」の発掘が始まりました。1,700点にもおよぶ大量の木の部材を一つ一つ慎重に取り上げ、記録し、どのように組み上がるのか造船当時の姿を考えていく作業は、まるで巨大なジグソーパズルのようです。4,500年もの長い時間を経る間に、木は脆くなって壊れてしまっていたり、虫食いの被害に遭っていたりと、すべてが良い状態で残っているわけではありません。そういった部材にはエジプト人修復師の手によって、現状を保てるように保存強化処理が施されます。彼らの中にはJICAや日本の専門家から技術指導を受けたスタッフもおり、日本による国際協力の成果が生かされています。
取り上げた木材の状態が悪くて本来の長さや形が分からず、どこの部材なのか判断に悩むことも少なくありません。そんなときには、古代エジプト人がこの船を造った時に付けたマークや数字が役に立ちます。皆さんもご自宅で家具を組み立てるとき、板に番号を振ったり、組み合わせる部材同士に同じ記号をメモしたりしたことがあるかもしれません。古代エジプト人も同じように、「この材は右側の前から3番目に位置します」と分かる記号を残しています。複雑な船の部材すべてを正確に組み立てられるよう、古代エジプト人も工夫をしていたのですね。番付や符牒と呼ばれるこのような文字資料は、解体された状態だったからこそ確認できた貴重な資料として、日本の研究者を中心に分析が進められています。
古代の造船技術は実に巧みで、部材に触れていると4,500年の時を忘れてしまうほどです。日本の宮大工を彷彿とさせる絶妙な仕口や継手、繊細な手仕事が施された板面からは、文明の成熟度が感じ取れます。その一方で、計画を変更した痕跡や切り損じなど、人間らしい一面が読み取れるのも面白いところです。船を組み立てる際には、現代のエジプト人修復師らの協力と、古代エジプト人が残した記号をはじめとする過去の遺物が教えてくれる情報の両方が大切になります。クフ王第2の船の組み立て作業と研究は現在も継続中です。どのような形の船に組み上がるのかとともに、その船に古代エジプト人は何を求めたのか、物語が明らかにされることでしょう。
エジプトは古来より乾燥した気候で、真っ直ぐに伸びる大木(針葉樹)は育ちません。船に使われた大型の木材のほとんどは、シリア・パレスチナ地域からの輸入材でした。輸入材は時を経て貴重になり、役目を終えた船の部材は棺や別の木製品に再利用されたため、現存する船の数はそれほど多くはありません。しかし、船が1つ発見されるだけで様々なことがらが明らかになります。先に述べた組み立て方などの造船技術はもちろん、木の特性を生かした使い方や、加工段階から木を無駄にしない工夫などからは、古代エジプト人の木材への深い造詣が感じ取れます。さらに、木材が運ばれてきた交易網や大工が用いた道具、古代エジプト人の来世についての考え方まで、研究は様々な方向へと広がっていきます。華々しい石造文化ばかりに注目が集まりがちですが、これからは古代エジプトの木の文化にも目を向けてみられてはいかがでしょうか。
山田綾乃
トップ画像:クフ王第2の船と記された文字(写真提供・東日本国際大学エジプト考古学研究所)