1904(明治37) 年2月7日 今朝十時頃浅井より頼んで来た石膏型造一件を話すために佐野に逢ひに行き直段の事など取極めて、此事を校長に相談するために小林といふ医者の処の電話を借り、午後一時に正木の処に行く約束をした。それで内に帰つて昼飯をたべ直ぐに出掛ける。途中青山の練兵場を通つたが、馬を入れる仮小舎を盛んに作り、又其側に幕を張つて、大勢集つて居る。中々勇ましく見えた。牛込辺では彼地此地の家に張紙がしてあつて、近衛兵召集者宿舎にあてる用意がしてあるのは何んとなく異様に思はれた。正木に面会して切り型の製作は佐野に引請させる相談を遂げ帰り途合田の処に寄る約束であつたから、牛込見附から招魂社の前を通つたが、此所にもバラックの工事をして居る。近衛師団の裏門には召集兵と見送人とが群集して居るのを見た。合田の処では再び佐野と会合したがそれから跡はどうなつたか確かには記臆しない。 続きを読む »