1904(明治37) 年2月7日 Sunday


二月七日 日曜日 晴天

今朝十時頃浅井より頼んで来た石膏型造一件を話すために佐野に逢ひに行き直段の事など取極めて、此事を校長に相談するために小林といふ医者の処の電話を借り、午後一時に正木の処に行く約束をした。それで内に帰つて昼飯をたべ直ぐに出掛ける。途中青山の練兵場を通つたが、馬を入れる仮小舎を盛んに作り、又其側に幕を張つて、大勢集つて居る。中々勇ましく見えた。牛込辺では彼地此地の家に張紙がしてあつて、近衛兵召集者宿舎にあてる用意がしてあるのは何んとなく異様に思はれた。正木に面会して切り型の製作は佐野に引請させる相談を遂げ帰り途合田の処に寄る約束であつたから、牛込見附から招魂社の前を通つたが、此所にもバラックの工事をして居る。近衛師団の裏門には召集兵と見送人とが群集して居るのを見た。合田の処では再び佐野と会合したがそれから跡はどうなつたか確かには記臆しない。

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例)「1904/02/07 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871201.html(閲覧日 2024-04-26)

同日の「黒田清輝日記」より
 二月七日 日 半晴 午後曇天 寒シ 又少シ夜雪フル 初雪也
 昨日ヨリ号外ノ声一層高シ 父上ノ御出発イヨイヨ明朝ト決ス 御塩梅ハ昨日ニ比シ宜シキ方ナリ 午前十時頃名取氏見舞ハレタリ 又拙者ハ本日気分勝レズ 是レ痔疾ニ困シメバナリ 加フルニ “Question de l'héritier” ヲ以テス 余亦将ニ老境ニ入ラントスルモノカ 午後少シク町田秀子殿 藤 中 大迫諸氏ノ来訪ニ接ス 篠塚ヲ以テ小山正君 笄町父上ヨリ御依頼ノ題字ノ件問合ス 又下山ヲ使トシテ石原氏ヘ餞別トシテ綿フランネル一反ヲ贈ル 本日午後二時頃父上 綱祐ト三人ニテ赤阪柴田ヘ出向キ写真ヲ撮ル 昨日ノ分少シク贈品ニ適セザルガ為ナリ 寝ニ就ク頃気分殆ンド平常ニ復シタリ
二月七日 日 半晴 午後曇天 寒シ 又少シ夜雪フル 初雪也