1889（明治22） 年1月24日 午前八時半窪氏ニ別辞ヲ為シ車ニ上レバ間モ無ク呼鐘鳴響車輪転運ヲ初メタリ 郊外ニ出テ北方ノ山間ヲ廻レバ気候ハ頓ニ一変シバルスロヌマテ嘗テ見ザリシ霜鋒路辺ニ繁リ処々ノ溜水ノ氷結セルヲ見ル バルスロヌヲ発シテヨリ二三ノ停車場ハ皆盛ンナル製造所ナト村落ニ設ケ特ニサバデーソノ如キハカタラン州ノ「マンチェスター」ト称スル処ニテ数十ノ煙筒ハ黒雲ヲ吐キ蒸気機関ノ音鳴轟キタリ 木綿毛織物ノ製造所百余アリテ平常九千ノ職工ヲ用ユル 本年ノ産出高百五十万弗ノ多キニ上ルト云ウ 此等ノ停車場ヲ過キ漸ク進メハ路増山嶺ノ間ニ就キ行ク事十余里ニシテ数所ノ隧道ヲ抜ケ出ツレバ忽チニシテ左方ニ一脈ノ連山従テ岩石ヨリ成リ立ツ 其頂鋸歯ノ如ク剣鋒ノ如ク又「薯藷ヲ束ヌル」類也 其間ニ一棟ノ白石屋アル認ムルニ至ル 是レ有名ナルモンセラットニシテ山間ニ在ルヲ尼寺院ト為ス 麓ニハ清流ノ環流スルアリ風景絶奇□□ 夏日ニシテ茲ニ一遊スルヲ得タラバ如何ナル清空ナルヤラント想像シテ止マズ 是ヨリマンレサ邑ニ到ル迄ハ常ニ谿谷ノ間ヲ行ク マンレサハ岩石ノ上ニ聳起シガルドネル河ニ涵カル漂白場アリト云フ 是ヨリカタラン州ノ原野ヲ走ル葡萄及橄欖樹ノ耕作ヲ勤メタリ カタランノ諸邑ハ孰レモ酒造所ノ盛ンナル所ト見ヘ至ル所ノ停車場ニ大ナル酒樽ノ転リ居ラザルヲ見ザル事ナシ 特ニカルヴェラノ停車場ノ近傍ニハ数棟ノ酒倉アルヲ認メタリ 西班牙ノ山野ヨリ樹林ノ茂レルヲ見ル事ナシ カタラン州ニ於テモ亦然リ唯処々ニ松樹ノ林アルノミ 午後二時レリダ邑ニ達ス 茲ニテ昼食ヲ為ス 此邑ヨリ進ム事数十分ニシテ漸クアラゴン州中ニ入ルカタラン州ヨリ「アラゴン」ニ入レバ風光至ツテ変シ彼ノ山腹ニ耕シタル葡萄園又ハ両側ニ茂レル橄欖モ見ズ 一望ノ間平遠ナル曠野ニ雑草点綴シタル瘠地ニ人影ヲ認メズ 遠近ニ突如トシテ数十里ニ亘リタル褐色ノ山夕陽ニ映ジテ蒼々タルノミ 数十里ノ間停車場アル近傍ニハ貧ナル村落ヲ見ルモ斯ル平野ニハ人家ヲ見ルナシ 既ニシテ夕陽ハヒレネーノ遠山ノ間ニ没シタレバ車窓ノ外ヲ眺ムルノ楽ハ尽キタレバ車内同旅客ノ談話ニ注意スルニ至レリ 西班牙ノ汽車ハ中□室ニ仕切リ板ヲ設ケザルガ通常ナル 大線ノ車ニハ布ノ仕切ヲ設ケタリ 余ト対坐セル一人ノ客人ハ瑞西人ニシテ商用ノ為メ西班牙葡萄牙ヲ回歴スル者ナリ 左側ニ坐ルハ西班牙人ニシテコハニヤノ人ナリ 彼方ニ坐セルハ以太利人ニシテ葡萄牙ポルトーヘ赴ク者ナリ 皆西語ニ通ス種々ノ話アリ 兎角スル内夜ニナルニ随ヒ車室ニ足暖メナキヲ以テ困却セリ 八時十分ニ至リ車ハサラコツスノ郊外ナル停車場ニ達シ車ヨリ下レバ諸々ノ宿屋ヨリ宿引集リ来ルニ余ハ兼テ「ガイド」ノ内ニ見出タル「オテルデルウニヴェルソ」ノ車ニ乗リ十五分斗ニテ町市中ニ入リホテルノ一室ニ行李ヲ下シタリ 此日行程三百六十六基 サラゴッサハ旧時アラゴン王国ノ首府ニシテ盛名ヲ鳴シタル所ナレトモ今ハ唯マドリーヨリバルスロスヘ行通ノ中央ニ起ルヲ以テ微ナル商売ヲ営ムノミ 近クハ千八百八年同九年ノ両間ナポレオンノ侵撃ニ当リ此府ハ最モ劇烈残虐ナル荒暴ヲ被リタルハ些カ人口ニ膾灸セル所ナリ 人口八万ト称ス コグルノ河流府ヲ環流セリ 府中ノ商売ハ酒 火酒 麦、毛糸、麻、大麻等々アリ 続きを読む »
