1899(明治32) 年1月5日 Thursday


一月五日

朝磯谷出立飯後ニ一同ト後山麓ニ写景シタルニ風強クシテ出来ズ 午後モ風荒ク部屋ノ戸ヲ立テ廻シタレバ不快極リ突然引揚ノ事ヲ発言シタルニ皆同意シ早々荷物ノ方附ヲナシ車ヲ命シテ立出デ沼津六時卅五分ノ汽車ニ乗リ帰京

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例)「1899/01/05 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871106.html(閲覧日 2024-05-15)

同日の「黒田清輝日記」より
 一月五日 晴風強し
 朝めし後磯谷静岡へ向けて立つ オレハ後の畝の中ニ安藤と一緒ニかきに行く 午後佐野の肖像の仕上ニ懸る 此の時風の強かりし為帰つて仕舞ふぢやないかと云議が出て忽ち一決し弁滑君を写したる鈴木氏を一人残して皆立つ 六時半頃の直行にて東へ帰る 夜食ハ汽車の弁当なり 折角食つて居たらおかずが汽車の動くのでひつくりかへり大ニ閉口 佐野からかまぼこ一つ安藤から漬物二切れを貰つて漸くめしをすませた 九時二十分大船着 此処ニて佐 久 安の三人ニ別れ逗子へ行く 十時頃養神亭着
一月五日 晴風強し