1892(明治25) 年12月11日 Sunday


十二月十一日

今日ハ日曜デ球投ケ遊ビヲ為スジョゼフトコンスタン不平面ガ喧嘩ニ及バントシテ面白カツタ 日本行百二十二号出ス巴里ハ雪島ハ雨ノ事 島ノ気分。川端玉章ノ種類、巴合拿馬一件 政治人ト商工人ノ詐譌心ゴールドノ事抔記ス London S.fran-

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例)「1892/12/11 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/871001.html(閲覧日 2024-05-03)

同日の「黒田清輝日記」より
 十二月十一日 日
 切角すへさした暖炉の煙筒の向ケ方が悪いので其すへ直シ方ヲしようとして家主ト和郎と三人仕事して居る処ニブツフアールがオレの菊の画ヲ見ニ来た(昼後の三時頃) 焼酎など飲でしばらく話して行く 明日巴里へ一寸帰ると云て居る 夕方とうとう煙筒ヲすへ直シた 家主が若い時ニハ左官だつたそうにて壁ニ穴ヲ開ケたりなんかする事ハ得意也 夜美陽家ニ少し話しニ行き後宿屋ニ行きブツフアール等とちよつとおみきを頂く ブツフアールハ古巣ニ約束がして有るからと云て出る 和郎の講義ヲ九時頃迄聞き帰る 和郎一緒ニオレの内へ来て読み続きを十時過迄演ズ 美陽家で美天小僧が股引の中ニ糞ヲたれたと云話ヲ聞く 我身の小供の時の事ナドが思ヒ出される 其序ニ内ニ居たあの細島でゆわしの頭ヲ食て居た富公の事が頭ニ浮だ どう為たかしらん
十二月十一日 日