1892(明治25) 年12月5日 Monday


十二月五日

船頭等ヲ集メテ酒ヲ飲マシテヤツタノデ宿屋ノ者共大不平也 タマニヤアコンナコトモ面白イ孤島ノツレヅレニ

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1892/12/05 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/870996.html(閲覧日 2024-05-03)

同日の「黒田清輝日記」より
 十二月五日 月
 朝九時頃ニ起て見たら雲が向の屋根ニ積で居た 美陽家ニ水くみニ行き久米公等からの手紙ヲ受取る 河北から女子話しの説き明シナリ 直ニ其返事ヲ書く 又曾我ニ arts et metiers 学校の規則ヲ記シした□(原文不明)方ヲ頼でやる 昼めし後鞠の処ニ一寸行く 昨日客が有つて非常ニ躍などしたと云てつかれきつて居る体也 直ニ画部屋ニ行く しばらくして霜菜来る 三時迄仕事ス 話の序ニ九十年の此の村の祭ニ付てハ糞の如キ感ヲ未だニ持つなどの事ヲ云て聞かして別る 人種ト教育の異なるハ物事ニ付て違た感ヲ与ゆる事不思議也 古巣の内ニ人形の形造ヲ見ニ行ク 巳里から職人が二人来て仕事ス 古巣の内で夜食の御馳走ニ為り十時少し過迄話して帰る 今日ハ古巣夫妻が婚礼してから四年目だそうだ 和郎ニハ終日不逢
十二月五日 月