1892(明治25) 年11月5日 Saturday


十一月五日 曇天無風暖カナリ

河北ノ野郎ハ荷蘭陀国ト同行ニテパンポルニ往ツタカラ跡デユルリト起キ出デ十一時比ヨリ亜乱船頭ト鮑ヒ貝ヲ取リニ行キ一五六ヲ得タリ 夜食ニ酢貝ト煮付ケヲシテ味フ 極メテ甘美ナリ

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例)「1892/11/05 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/870886.html(閲覧日 2024-05-17)

同日の「黒田清輝日記」より
 十一月五日
 和郎ニ電信で此の暮村ニ居るから来いと云テやる 朝僅ニ一時間位しきや稽古出来ず 昼後霜菜ヲ手本として一寸始メテ居た処ニ人が来て岩村がオレヲ尋て居ると云て来た 之レデ仕事ハだめと為る 村三条ノ娘ニ扇子ヲ送る 岩村ニオレの画など見せてやる 後兎馬の車でマルロツトヲ経てお化の池だの狼が谷など見ニ行く 森の景色中々よろしく帰へる時ニハ暗く為つて鹿の声があすここゝニ聞えた 鹿のこう云様ニ鳴くのハ始めて聞た なんだかすごい様ナ淋みしい様なもんだ 淋みしい様ナ処で聞からそう聞えるのかも知れない 岩村が七時の気車で帰へつて行くと云からブーロンの停車場ニ車ヲ付ケテしばらく待合部屋ニ居た なニしろ七時ニハ未だ一時間の余も有る どうだ村ニ来テ泊てあしたの朝六時過の気車で立つたらどうだと云たらとうとうそうする事と為る 即ち村へ帰る 食後岩村ヲオレの部屋ニ連れて来てつまらない下画だの又画写真や画入の本など引出シテ見せる 十時過ニ宿屋ニ一緒ニ行き台所でマント水を飲みそれからねると云ので部屋迄送て行き別れを云て帰る 今夜ハ雨
十一月五日