1892(明治25) 年11月3日 Thursday


十一月三日

シメタシメタ今日ハ朝カラ日ガカーント当ツテ立派ナ天気ナノデ先勉強モ出来タト云フ塩梅ナリ 和蘭陀国ガ島ニヤツテ来ヤガツタ

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「1892/11/03 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/870881.html(閲覧日 2024-05-17)

同日の「黒田清輝日記」より
 十一月三日
 天気よし 朝仕事す 二時の気車で巴里へ出る 着て直ニ曾我 長田等ヲたづぬ 二人とも留守 夫レから公使館ニ行日本めしの御馳走 十二時迄居る 天長節ニめしヲ公使館で食たハ今年が始也 併しごたごたした様ニして日本人会めきたり 宮さん方や女の面が無いからの事と知られたり 矢張御酒の席ニハ女が居るニ限る 歌もなニも一向ニはづまず大鳥と長田と三人で出てゝ川辺をぶら付乍らぼつぼつ歩く 今夜のセイヌ川の景色ナントモ云ハん方なし 霧が立ちたるが為め月がぼんやりと為り水の色ハ牛乳然と白つほくして居る ピエールロチの書いたイスランド猟師中のイスランド近海の風景もかくやあるらんと思ハれたり とうとうしまいニ大通の引張の来るジユリアンと云茶屋ニ行く事と為る 女の近づき得ないお座敷で一杯飲む 二時近く為る迄居る 見世ヲ仕舞ふから止を得ず出る 大鳥ニ衆議院前ニテ別れ車ヲ引ツヽかまへて小僧とホテルデカルム(小僧の下宿)へ行き小僧が前以テオレの為に借りて置て呉れた部屋ニネる ネる前ニ丸毛ト少し四方山の話す ネる時ニハ三時半頃ニ為た 丸毛ハ小僧の部屋の長椅子(カナツペ)の上にごろりとして居上つたからたゝき起して話してやつたのだ
十一月三日