1892(明治25) 年4月1日

今朝九時ヨリ親爺ノ処ニ出掛ケ札ヲカキ十時ヨリ本車ヲ飛バシ里昂発車場ニ馬場ヲ送リニ行ツタガ居ラズ 帰リニ植物苑ヲ通リ大蛇抔眺メ文珠町ニ立寄ツテ見ルト野郎立チモナンニモセズニ居ヤカツタベラボーメ 昼後又親爺ノ処ニ出掛ケ方付ケヲ仕舞ヒ帰寓

1892(明治25) 年4月3日

午前不行上人稽古ヲ為ス 余リノ上天気ニ居タヽマラズ忠公ト画ノ具箱ヲ提ゲテ田舎巡リト出掛ケウエスサンチュールヨリ乗車ムードンニテ降リ昼食、山ノアタリヲ歩キ木陰ニ踞シ忠公景色ヲ写シタ 五時半過ベルヴューヨリ汽車ニ乗リ帰ル 夜ハ稼ギヲ為ス

1892(明治25) 年4月5日

今朝サロン追ツ払ヒノ手紙ヲ受取リ糞忌々敷ナツテ来タカラ日暮村ニ出掛ケテ黒田ト相談セント思ヒ立チ忠公ヲ引張リ車ヲ飛バシ十二時ノ汽車ニ飛ヒ乗リ二時過ニ着 畷通暑キ事云フニ方ナシ 晩飯ヲ三人デ宿屋ノ庭デヤツタノハ中々愉快ニ行ツタゾ ホロ酔ヒ機嫌ニナリ八時四十何分カノ汽車ニ乗リ巴里ニ十一時比着キ夫ヨリブールヴァールニ廻リ無茶苦茶騒キヲヤリ十二時過ニナリ歩イテ帰ル

1892(明治25) 年4月6日

今朝懐中ニ一佛アルノミ朝ノ内少シ稼イデ居ル処ニ此間来タ海軍ノ先生ガヤツテ来タ 其ノ内忠公帰リ一緒ニ出タカラ跡ハ一佛デ肉ヲ買ヒ昼飯ヲ立派ニヤリ午後ハ三時半過ヨリ公使館ニ手間取リノ物ヲ取リニ行ツタ処ガ将監ニツカマリ忠公ノ一件一寸面白カラヌ事ヲ聞イタ 夫レカラ河北ト一緒ニ文珠町ニ出懸ケタルモ又馬場ノ跡尻デ少シイヤナ事ガ生シカヽツタゼ ドーモコー天下ニ不泰平ナ事ガ満チテハ溜ラヌゾ 夜井上ト一緒ニ帰リ奴ガ三線ノ茶屋デ氷ヲオゴツタ

1892(明治25) 年4月8日

朝十時ヨリ黒、忠ト三人独立派展画会ヲ見ル 后忠公ト将監宅談判ニ赴ク 餓鬼ヲ連レテ散歩シテ居タノデ歩キナガラ話ス 四時比黒田ハ立去ル 六時コラン親爺ノ家ニ赴キ後一緒ニコンゼルブ通ニブロンドート云フ奴ノ友達ノ処ニ飯ヲ喰ヒニ行ク 其妻ハ親爺ガ面ヲカイタ奴ナリ 食後日本画抔ノ説キ明シヲ為シ十一時半頃ヨリ歩シテ帰ル

1892(明治25) 年4月9日

今朝ハ稽古場ニ行キ一切引取ル 昼後三時ヨリ公使館ニ赴キ百貫ヨリ馬場ノ話ヲ聞ク 黒田宛ノ書留ガ来テ居タカラ其ノ事ヲ知ラセテヤル 夜在寓 額縁屋ニ払フ

1892(明治25) 年4月12日

昼飯ハ忠公ガマカルニヲコシラヘタ 午後三時半比ヨリ三人デ立チ出デ白耳義国カラ出デ来テ居ル商学家ヲ尋ネカフェードペーデ井上ナンカニ出逢ヒ夫カラバクチヲヤツタ処マンマト勝チ飯ヲ御馳走ニナリ後少シ不平風吹キオレハ永富ト云フ人ト歌謡ヒヲ聞キ一時帰

1892(明治25) 年4月13日

朝ビルトノ旧画カキ場ニ切レヲ探シニ行ツタ処ガランダルノ野郎ガ居ヤガラナイカラ行キ損トナル 昼後少シ沙カキヲヤリ夕方黒田ト安物屋ヲヒヤカス 夜ハ小便壺ヲ読ミ上ゲタ

1892(明治25) 年4月15日

今日ハ黒田ガオレノ沙カキヲ手伝ツテ呉レタ 三時過ヨリ黒田ト歩シテ八幡原ヲ通リ公使館ニ沙カキヲ持テ行キ息ム内コンニヤク御酒ヲ二人デ傾ケ尽シ曽我ノ餓鬼ヲ肴トシテ極楽通リ大通リヲ歩キ放歌大愉快 果ハ井上ノ処ニ乗リ込ム 大勢日本面ガ居タ 一同八人揃ツテ食時ヲ為シブラブラ帰ル

1892(明治25) 年4月16日

朝昼共沙カキ商売黒田手伝フ 夜ハ黒田、忠公ト将監ノ宅ニ呼バレタ 日本飯ノ御馳走頓テ将監ハ出デ行キ女将監ト十二時過迄御面談ヲ申シ夫カラ歩イテブラブラト帰ル 茶ガタヽツテ寝ラレナカツタ

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