1892(明治25) 年1月21日 Thursday 一月二十一日 本日学校ニハ行カズ早飯ニテ美術学校ノ講義日割ヲ見ニ行キ又ルーヴル博物館ニ廻ル チシアンノ女トランブランノ女トノ像ニ大ニ感心ス 帰宅後肴ノ汁ヲシヤブリ夜食ス 夜日本行号外便ヲ認ム 時候トアンフルユノ事及国会ノ挙骨事件ヲ記ス 加奈他便ニテ出ス 引用の際は、クレジットを明記ください。 例)「1892/01/21 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/869946.html(閲覧日 2025-05-19) 同日の「黒田清輝日記」より 一月二十一日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)ほくかいどうからおかへりニなりましたらわたしのゑもとゞいておりましたよしあなたさまがたのおきニいりましてまことニうれしいことでございます このまへのびんからゆつてあげましたとうりいまハいなかニをりましてきようしんくわいニだそうとおもうゑをいつしつペなつてかいてをります ことしもさくねんのようニ一まいでもうけとられるようニなればいゝがとおもつてをります かのししがやまのなかニをるところのゑをかいてみたいとハおもつてをりますがあんまりむづかしいもんですからまだてをだしきらずニをります きようしんくわいニだすゑハ三月の十三四日ごろまでニかいてしまつてちやあんとがくニいれてもちだすようニしなければならないのですからなかなかいそがしいことてす こんどのハきよねんのからみるとよつぽとおゝきうございますから一つのがくぶちだけニでも三百ふらん につぽんの七十円ぐらいはとられるだろうとしんぱいいたしてをります まあいくらおかねがかゝつてもきようしんくわいニうけとられさいすれバよろしゆうございます それでべんきようをだい一としてをりますからごあんしんくださいまし(後略) 母上様 新太拝(一月二十一日附 グレー発信 母宛 封書) « 一月二十日 一月二十二日 »