1892(明治25) 年2月2日

朝学校ニ行クト門前デ長田ニ出ツコワシタ 十一時ニダビデ等ヲ引張酒ヲ飲マセタ 長田ト一緒ニ帰寓部屋ゴシラヘヲヤル 夜食後奴ノ処ニ出掛ケタ其帰リ虎車ノ中デ「ヨル」ノ野郎ニ出逢ツタ

1892(明治25) 年2月3日

朝稽古場ニ出掛ケル 昼飯後メニル町長田ノ宿ニ出掛ケ引越シノ仕度ヲシテヤツタ ソレカラ林ノ処迄ツキヤツタ 晩飯ハ林オゴル 八時過ニナツタカラ車ヲ飛バシ「ビルト」ノ処エカケツケ布塗リヲ為ス

1892(明治25) 年2月6日

朝ハ稽古場ニ出懸ケタ 親爺ガ来タ 此週間ノ画ハ丸デ無茶苦茶ダ 昼飯ハ忠兵衛ト一緒ニヤリ後共ニ「ビルド」ノ処ニ出掛ケタ 例ノ布塗リサ 忠公台ノ上ニ転ガツテ暫ラク昼寝ヲシヤガツタ 夕方帰リガケニ牛肉ヲ提ゲテ戻リ飯ヲタイタ 夜黒田ニ手紙ヲカイタ

1892(明治25) 年2月7日

今日ハ日曜ダカ渋イ様ナ天気ダ仕方ガネー 昼飯ハ内デ喰ヒソレカラ少シスルト朝鮮ノ豪傑ガ尋ネテ来タ 長田ト三人連ニテ車ヲ飛シ和倉小路ノAeussic云フ金持ノ処ニ長田ガ引張ツテ行キヤガツタ 此家ノ婆サン未ダ若イガ全身不随ノ体ナリ併シ中々イヽ婆サンダ 親爺モサツパリトシテイヽ人間ナリ 赤イ着物ヲ着タ鳥渡悪クナイ小娘ヲ見タ帰リハ御散歩ルーブル近傍デ夜食九時比帰寓

1892(明治25) 年2月8日

朝学校手本ハ「ルュシー」ト云フ痩ツコケタ女ナリ「ゼロム」ノ彫刻ノ形ヲダビデガヤラセヤガツタ 昼飯後美術学校解剖ノ講義ヲ聴聞 夫レカラ雨ニビシヨ濡レニナリ方々ニ金策ニ出掛ケ六十文ヲ得テ帰寓スレバ河北井上両人来テ居タ 夫レカラ例ノ牛鍋ヲヤリ十一時比迄話シタ 今朝日本カラ郵便ヲ受取タルニ泰秋殿死去ノ報ニ接シイヤニナル事オビタヾシ

1892(明治25) 年2月10日

午前ハ稽古場ニ出掛ク コラン親爺来リ不意打ヲ喰ハセヤガツタゾ 昼飯ハ長田ト鶏穴屋テヤル 午後ハ忠兵衛箱明ヶ騒キヲヤル 三時過黒田日暮ヨリ出掛ケテ来ヤガツタ 後井上モ来タ豚汁ヲ喰フ 夜ビルド宅ニ布塗リニ出掛ク 十一時比帰ツテ見ルト黒田ノ野郎ローム酒ニタヽラレ雪隠ノ穴ニ首ヲツキ込ミ苦ンデ居タ

1892(明治25) 年2月11日

午前ハ稽古場ハ止メニシ黒、長両田ト一所ニ外出 額縁屋ニ聞繕ヒニ出掛ケ鶏穴屋ニテ昼食 夫ヨリ歩イテ林ノ処ニ立寄リタルニ居ラズ 萩原小僧ノ言ニ黒田大ニ腹ヲ立テタゾ 夫ヨリ水画展覧会ヲ見ル鳥渡面白イ ベナールハドーモ豪傑ダゾ 後通筋ヲブラツキ揚句ニ井上ヲ攻撃シタ 留守ノ内ニ奴ノ大事ニシテ居ル乾海老抔喰ツタ 頓テ帰リ大ニ不平ル 夜食後帰寓 ビルド来訪十一時ニ去ル夫ヨリ黒田ト後来ノ事種々論談二時ニ休ム

1892(明治25) 年2月12日

稽古場ヘハ行カズ昼飯ハ黒田ト牛鍋ヲ喰フ 黒田ハ四時比ヨリ日暮ニ立去ル 日本行九十四号便ヲ認ム 凶変ノ弔辞ト大決断ノ一条ヲ申送ル 今夜七時出ス 夜ビルドノ処ニ布塗リニ出掛ケタ

1892(明治25) 年2月13日

今朝モ学校ヘハ出掛ケズ内デ忠兵衛ノギヨルヲ墨デカイタ 昼飯ハ内デヤル 二時半比ヨリ忠兵衛ト一所ニ稽古場ニ一寸立寄リ帰リ額縁屋ニ立寄誂ヘタ ソレカラオレハ教師ノ処ニ廻ツタ矢張リ独リデ勉強シテ居タ 夜食モ忠兵衛ト家デコマカス

1892(明治25) 年2月14日

昼飯ヲ喰ハフトシテ居ル処ニ「ビルド」ガ来テ郊外散歩ヲ促ス 直ニ賛成「ウエストサンチュール」ヨリ一時ノ車ニ乗リ鞍馬村ニテ下リ御持参ノ肉ヲ焼カセテ昼食シ後「ビエーヴル」「イギー」ノ寒景ヲ探リパレーゾー村ニ出デ五時ノ汽車ニテ帰巴 本車ヲ飛バシテ吉田ノ処ニハセ附ケ牛鍋ヲコシラヘ丁度出来上ツタ処ニ馬場ノ屎ツ垂レメノソノソト帰ツテ来テ喰ツタノハ残念ダツタ 後少シウナル 〔欄外に「昼食ハ忠兵衛ノギヨールヲヒネクツタ」〕

1892(明治25) 年2月15日

朝ハ学校 手本ハ髯男余リ面白クネー 十一時半ニ忠兵衛ガ来タカラ止メテ出デ家ニ帰ツテ見ルト唐ノカンコロリンノ野郎ガ来テ待テ居タカラ仕方ガナク飯ヲタイタ 其跡デ朝鮮ノ芸者ノ話ヲシヤガツタノデ行ツテ見タクナツタ 夕方ニ井上ノ野郎ガ土居ト石井ヲ引張ツテ来タ 牛鍋ニ鴨ノ鍋焼キヲヤル又朝鮮ノ話ガ出テ面白シ十一時比迄話ス

1892(明治25) 年2月16日

朝カラ雪ガ降ツテ居タガ昼中ドンドン降ツテ夜中降ツテ居タ 午前稽古場ハ休ミ内デ忠公ノギヨールヲカイタ 昼飯ハ鶏ノ穴テヤツタ 額縁屋ニ立寄リ緑ガ岡ヲ過ギ翁ニテ乗合ニテ林ノ処ニ出掛ケタ 途中雪デ馬前マズヒマ取ル 林ノ処デ晩クナツタカラ仕方ナク本車ヲ飛バシテ尾留奴ノ処ヘ行ツタ 其ノ代リニ晩飯ハ三ケ月饅頭ヲ三ツ車ノ内デパクツキゴマカシテ仕舞ツタ 十一時迄布塗リヲ為シ帰リ路積雪ニテ車モ通ラズシントシタ処中々奇

1892(明治25) 年2月17日

稽古場ハ休ム 昼飯ニハ牛鍋ヲ食フ十二時半忠公ト本車ヲ飛バシミルサトン展画会ヲ看ル ウンチ画多シ見ルニ足ラズ 後林ノ処ニ廻ル 五時ニ立出デ「ウォルテル河岸ランデル」ヲ訪フ 間モナク奴ノ女ガヤツテ来タノデ三人デ車ニ乗込ミモンマルトル町辺ノ飯屋ニテ夜食シ九時比コンセルパリジァンニ出掛ケタ 流行歌ノ名人イベットジルベルヲ聴ク 皆ランデルガオゴツタノダ 十一時半ニ済ミ虎ニ乗ツテ帰ル ベラボーニ寒カツタゾ

1892(明治25) 年2月20日

昨夜ハ二木ト云フ先生ガ泊ツテ居タカラ今朝ハお附合ヒシ晩ク起キタ 昼飯ニハ例ノ牛鍋 二時比尾留奴ヲ訪ヒ後共ニ緑ガ岡ヲ歩シ博物館ヲ一ト廻リシタ 夫カラ虎ニ飛乗リ林ノ処ニ出掛ケ十一時迄止ル

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