1892(明治25) 年10月7日 Friday 十月七日 今日ハ一年中ノ高潮ナリ 嵐日和ニテ何モ出来ヌカラ宿ノ亭主ト東南ノ島ニ渡リヒエイユ釣リニ出懸ケテビシヨ濡レニナル 引用の際は、クレジットを明記ください。 例)「1892/10/07 久米桂一郎日記データベース」(東京文化財研究所) https://www.tobunken.go.jp/materials/kume_diary/870826.html(閲覧日 2025-04-27) 同日の「黒田清輝日記」より 十月七日 金 今朝ハ一寸日が照た様ニして居たが矢張雨だ 朝めしも昼めしも晩めしも鞠の処で食た 晩めしニハ鞠の妹鞠屋も弟のジヨルジユもばあやもやつて来た 今朝ハ画部屋ニ仕事ニ行 昼後ハ古巣と二時半か三時頃からこないだの様ニ森に茸さがしニ行た 此処のあめハ降たり止だり 森の中で大雨ヲ食ふ なニしろびしよぬれニぬれて居る草をふみ分ケ一寸さわると露がばらばらと落る木の枝をくゞつて歩く事だからたまらない 足だの股引だの水ニ突込だ同然さ 併し今日ハ脚半を当て居たから此の前の時より余程ましさ 六時頃ニ内へ帰て来た それから煙草屋ニ蝋燭を買ニ行たら煙草屋の娘とあのいやな下品なリセツトが居て外ニどこかの娘が居た 煙草屋の娘とリセツト変ニうそ笑た様ニして居た体 アヽなる程此間の窓からのぞいた時の事がなんとか云面白い話ニ為て仕舞たかナと思ハさしむ こいつハ面白い物ニ為れば一寸話の種だぞ 先づ拙者ハそしらぬ体ニてあいさつなど云ヒ茸狩ニ行た事など話して笑ふて別れたり 昼後の便で日本へ端書を一つ出す 夜食後ジヨルジユと庭ニ出て川の上ニあかりを出すと云と魚が寄て来ると云が本当かなんだか蝋燭の火でためして見たり 魚が寄て来るどころかだめ あかりニも依るだろう魚ニも依るだろう 今日ハ市日で鞠屋が清泉駅ニ行たので小さなのこぎり一本とのみを一本買て来テ貰た 美天の親爺が小さなのみを一本副へて送て呉れタ(十月七日 金)同日の「黒田清輝日記」より 十月七日附 グレー発信 父宛 葉書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて勉強罷在候間御休神可被下候 只閉口ナノハ天気の悪き事ニ御座候 此頃ハはだもちも余程寒く相成候 四五日前より二人の大きな肖像一枚相始申候 庭ニてかき候間風がわりニて面白く候 併シ雨の止だ間をうかゞひちよいちよいかく事故思ふ様ニ進み不申候 天気全く上り候ハヾ大憤発致し可成早目ニかき上る積ニ御座候 さなくバ直ニ寒く成り外ニての仕事出来難く相成べく存候 早草 以上 父上様 清輝 御自愛専要ニ奉祈候(十月七日附 グレー発信 父宛 葉書) « 十月六日 余リ誉メタ天気ニ非ス 十月八日 »