英国で文化遺産マネジメントを学ぶ

ロンドン大学の主要校舎正面

皆さんは「文化遺産マネジメント」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?世界遺産の認知度の高まりとともに、世界的に文化遺産の観光地化が進み、単純に保護するだけでなく、どのように維持・管理していくかについて考える必要に迫られています。日本においても、2019年4月の文化財保護法改正の施行に伴って、保存重視であった従来の方針から、文化財の活用の推進がより求められるようになりました。このような流れの中で、いかに文化遺産の保護と活用を両立させるか、つまり「マネジメント(管理・経営)」していくかが大切になります。これを実現するには、考古学や建築学、保存科学のような直接的に文化遺産を扱う分野だけでなく、観光学、社会学、都市工学などの文化遺産の保護・活用に関連のある学問の知識もまた重要になってきます。

公的な文化遺産保護制度が最も早くから確立された国の一つである英国では、日本においてまだ一般的とはいえないこの文化遺産マネジメントという分野を体系的に学べる大学(とりわけ修士課程)が多数存在しています。そうしたこともあり、私は2022年から2023年にかけて英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学)の修士課程に留学し、この文化遺産のマネジメントについて学んできました。私が所属したコースは「考古遺跡マネジメント修士(Managing Archaeological Sites MA)」と呼ばれ、同コースの必修科目では、遺跡に限らず広義の文化遺産の価値や存在意義といった理論的側面から、観光業との関係性、遺産のインタープレテーション(解説、解釈)、人災・自然災害のようなリスクへの対策・対処といった実務的な側面に至るまで、マネジメントに関係する幅広い分野を学ぶことができました。また実際にロンドン市内に残る古代・中世の遺跡や英国を代表する世界遺産であるストーンヘンジなどでの課外授業もあり、実際の遺産がどのように管理されているかを見学することもできました。

選択科目の「デジタルヘリテージ」という授業では、地理情報システム(GIS)や仮想現実(VR)、拡張現実(AR)のようなデジタル技術の文化遺産マネジメントへの応用について学ぶだけでなく、東ロンドンの指定建造物であるハウス・ミル(House Mill)にて、実際にこれらの技術を使った実習も行いました。18世紀に建造された産業遺産である同資産は、干満差によって動く水車のある製粉所でしたが、第二次世界大戦の影響で閉鎖され、現在はハウス・ミル・トラストという慈善団体によって、カフェの運営やイベント会場として貸し出しを行うなど、積極的な活用が進められています。同慈善団体との話し合いのうえで、ロンドン大学の学生たちは劣化が進んでいる床や壁の記録を取り、保存処置を進めるグループ、より地域住民の人々に親しまれるために活用方法を考えるグループ、獲得可能な助成金について調査を進めるグループに分かれ、私は活用方法を考えるグループに参加しました。

東ロンドンの産業遺産ハウス・ミル
実習を行った東ロンドンの産業遺産ハウス・ミル

私のグループでは、米国、英国、インド、中国からの多国籍な学生とともに、現状把握のための利害関係者(慈善団体の職員や地域住民、施設利用者)へのインタビューを実施し、地域の人々にとってのハウス・ミルの価値を明らかにしていきながら、活用できそうなデジタル技術を模索していきました。そして、同資産を地域のコミュニティ・センターとして活用する案やARやQRコードを用いた体験の向上などをまとめた報告書を作成し、ハウス・ミル・トラストに提出しました。このように、地方自治体が主体となって進められる日本の文化財保護行政とは異なり、非営利団体が中心となって寄付や入場料等の売り上げによって文化遺産が保護されている英国では、いかにして活用し、保存のための資金を確保するかということが常に念頭に置かれているのです。

このような文化遺産マネジメントにおける理論面と実践面の両方を学ぶことができたことは、大変貴重な経験でした。日本においても、佐賀大学の地域デザイン学部や筑波大学の世界遺産学位プログラムにて、文化遺産マネジメントを学ぶことができますが、まだまだその選択肢に限りがあるのが現状です。文化財の活用が一般的になりつつある日本においても、文化遺産マネジメントという概念の浸透や教育プログラムの充実は、日本の文化遺産保護をより強固なものにしていけるのではないでしょうか。

金子雄太郎

トップ画像:指定建造物であるロンドン大学の主要校舎正面