今泉雄作(1850~1931年)は、文部省や東京美術学校(現、東京藝術大学)、東京帝室博物館(現、東京国立博物館)に勤務し、岡倉天心とともに近代日本の美術行政を支えてきた人物です。東京文化財研究所が所蔵する『記事珠』全38巻は、その今泉が、明治20(1887)年から、大正2(1913)年にかけ目にした美術工芸品について、略図を交えながら記録した手控えです。本サイトは、当研究所企画情報部のプロジェクト研究「文化財の資料学的研究」(平成23~27年度)の一環として、この『記事珠』第一巻の全頁デジタル画像と翻刻テキストを公開、さらに検索機能を設けて研究に資するようにしたものです。

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staff

  • 翻刻:吉田千鶴子
  • 翻刻協力:大内曜・依田徹
  • 注釈:塩谷純・依田徹
  • 全冊子リスト作成:田中潤
  • サイト作成:小山田智寛


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  壱尺五寸三分
 四寸四分 二寸四分 七寸五リ         二寸七分
      外のり 一尺七寸五分
      内のり 一尺六寸七分  二寸六部 内のり一寸八分
       外のり壱尺九寸三分
       内のり壱尺八寸五分
四寸六分 六寸  五寸
          足下■■■なかき
          足上■■長さ

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拾銭 不動様弐幅 八拾銭 舎利
             弐円三拾銭 深沢
壱銭五厘 糸    弐拾銭 数珠玉手附
六銭   くだ玉   九拾壱銭五厘 發心堂
〆五円拾八銭    拾五銭 本屋
             拾弐銭 人力
             三拾弐銭 硝子玉
             弐拾銭 用捨箱

古画梵天 九月十七日龍池会
 〔図〕

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  〔図〕此梵天網衣を着ル
美濃守〔花押〕 赤松満範古文書
 明徳三年四月廿九日
 窪三郎左衛門尉殿

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神田孝平氏蔵乾山書附光琳茶碗之図
ありしか写さゝる内にはづしたり
      〔印〕巨僧抱一 此印めづらし
 〔図〕
 〔図〕


神田孝平
一八三〇~一八九八。洋学者、政治家。文政一三年美濃国に生まれる。兵庫県令、元老院議官、貴族院議員を歴任した。男爵。明治三一年没。

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二條為忠卿たにさく
   スミ         スミ
 菊 いく秋もかくて越■ほへ菊花
        スミ     
かさねやとのた(堂)めしともミむ〔花押〕
〔花押〕 二幅とも前田健次郎
二條為冬卿たにさく
     スミ            スミ        スミ
 女郎花 をミなへしおほかる乃への露わけて
 あたなる色を袖に〔うつか〕な 為冬

八月廿一日 小石川図画取調ニて写す
 芳崖氏のうつしよりすル
 〔図〕 法隆寺夢殿の屋根


芳崖氏のうつしより
狩野芳崖が明治一九年に岡倉天心やフェノロサ等と文部省図画取調掛として行なった古美術調査の際の写生である《奈良官遊地取》(東京藝術大学蔵)を指すと思われる。同写生の第八巻には法隆寺夢殿の宝珠と露盤を描いたスケッチが認められる。
http://jmapps.ne.jp/geidai/det.html?data_id=1400

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文部省蔵
 公望十一面 信■
 〔図〕
町田君蔵 廿三日町田氏ニてうつす
 宗家真筆額 高尾のなるべし
 〔真言寺額の図〕

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光琳大盆 町田氏蔵
 〔図〕花青貝 葉ハ青 ナマリ 地粉 波水墨
    うら 金天目 合■に藤の平蒔絵あり フタうら銘 光琳寂明
    模様 水葵 おもたか かきつばた 見事也 模様底まてかゝる
根岸におりし茶人 
根古宗清 文政弐年十一月三日没 寺谷中初音丁 
墓ハ茶旧のふしたる也 
旧宅大塚宮本といふ医者の居宅 晩に寂して■ハ又隣
なり 即同番地(乙廿四番地)のハし屋の借居して居タ家ニて没す
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天竺仏 支那と見ゆる 宝冠に仏あり
 〔図〕

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蝋模の方
 春秋
  蜜蝋 四拾匁  松やに 拾匁
 夏
  蜜蝋 四拾匁  松やに 拾四匁
 冬
  蜜密蝋 四拾匁  松やに 六匁
 胡麻油にてこねる 冬は凡三匁といへとこれにてハ多し
 松やに細密のものハ松やに弐拾匁を法とす
 銅鍋にても鉄なへにても火にのせ先松やにを入れ
とかす 次に蝋を入れ勺子に油をつけてかき
まはし絽にて水中へこしこむ也 其後
適宜に手へ油をつけこねて形をつくる也
  七輪の火にて焼たる■ 〔「无礙菴」円印捺印〕

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     青銅
 一 銅 壱メ目  鉛 三百匁
    宣徳銅
 一 銅 壱メ目  鉛 三百匁  トタン弐百匁
    クロメ金
 一 銅 壱メ目  ハジロメ 三百匁  金 七匁
    サハリ
  器物用            イワジヤリ
 一 銅 壱メ目  鉛 三百匁  錫 百匁
  又壱方鳴物ニ用        イワジヤリ
 一 銅 壱メ目  鉛 弐百匁  錫 弐百匁
金屋五郎三蝋模の法
 一 蜜蝋 百■
 一 松やに 六拾匁 暖
         三拾匁 寒

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  ヘナ土にてをとかし沙をやき七分三分 
  又ませ絹ふるひにてこす ゴクミヂンにてよし
  又法
  ヘナ土へな■を入れてこす
  又ハ等分にあわせ蝋かたへ筆てぬる うすく
  ぬりかけ外にてかハかし五返もぬれハ穴不さかるを
  度とす其後ヘナ土ヤキ沙等分位の品を用ひて
  蝋がたへつけて鋳口をつけて少し
  あぶり火へ入てやき蝋をとかす也
  鋳上の後ハキシヤケニてミカキ又ヤスリなとにて仕上ク也
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澄禅和尚筆五仏種子 拾銭
――――――――――――――――――――――――――――――――
金の色上 金織金色上の後あふりて紅を
ぬり乾きたる後布にてふき仕上ク也

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常陸国那珂郡三反田村字蜆塚〔シイヅカとルビあり〕貝墟
ヨリ掘出縄紋古器数千片 大矢透君持参ス 九月 
廿四日夜展観
  〔図〕〔図〕是何物カ分らす
栗田君蔵
  〔脇息の図〕是惣高七寸七分程 朱ぬり 余程ふるし


大矢透
一八五一~一九二八。国学者、国語学者。号は蔦廼舍・水斎。嘉永三年、越後国に生まれる。著作に『仮名遣及仮名字体沿革史料』。昭和三年没。

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火鉢の火にてやきたる後 七輪の火て焼たる後
〔无礙菴の朱印〕

十八日午後一時洛東東山将軍塚に於て烏の合戦アリ
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馬琴ノ戒名
 著作堂隠誉蓑笠居士 嘉永元申年十一月六日 寺小石川茗荷谷深光寺
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絶海禅師杖 仏竹菴旧蔵 銘 町田君蔵
 〔中略〕
 此杖ハ竹庵の旧蔵 後町田氏
嵯峨鹿王院へ寄付せらる

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硯箱 町田氏蔵
 〔図〕

九月三十日荊妻をつれて江東百花園に七種を
見る 少し末なれと時雨れし空にていとよろし
――――――――――――――――――――――――――――――――
元史曰世祖至元六年命八思巴制蒙古
新字頒行諸路 淵鑑類函一百九十五
開元通宝
唐書ニ曰初開文銭之文給事中
歐陽詢制詞先止後次左後有讀之自上及左
廻環讀之其義亦通俗謂之、開道元寶錢○難
虔開■云初進蝋様日文徳皇后掐一甲文故銭
上有搯文○
晋殷仲堪酒盤銘
 禮節有宜體悦酒為 狂薬惑最觴悪徳酔
 


淵鑑類函
中国、清代の類書。康煕帝の勅を奉じて、張英、王士禎らが総裁として、一三二名に分担編集させ、一七一〇年完成。全四五〇巻。唐、宋、元、明の詩文のなかから、故事成語を集めて注釈したもの。内容は、天、歳時、地、帝王以下四四部門に分類し、さらに細目に分けてある。

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玄中玄   龍 興 山 前大徳八十八衲大鋼応古筆了仲禅者之需書
 〔印〕帰紫沙門  〔印〕■印大鋼
 北豊島郡谷中村廿六番地臨江寺額
  蒲生君平ノ墓アリ
  此寺の境内家屋ノ位置甚タヨシ
 古筆了仲の寺也
谷中廿弐番地本春寺額
 〔図〕栄源山
谷中坂丁 廿四番地天眼寺額
  春風■平安〔図〕 楞 伽 山  呉越程赤城 〔印〕〔印〕

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■幅ニ■■アリ 高麗氏蔵
 建暦元年正月十五日 南無阿弥陀仏 源空画
        偽物也と見ゆ
斯寶號者
圓光大師眞筆無紛
慮也、為證誠之、
  南無阿弥陀佛 縁山 大僧正章譽(花押)
     従建暦元年至嘉永三  ■    ■
     六百四十年      大僧正  青阿
                   智典   
――――――――――――――――――――――――――――――――
中野成願寺中野長者ノ墓ハ高崎東京府知事
ノ邸となりて取崩したるよし 古跡ノ煙滅する事惜むべし
下野国那須郡那須野村那須山雲照寺 釈清湧君
 十月九日朝 弐三日の内に出立のよし 暇乞に来る 
――――――――――――――――――――――――――――――――
一人アリ 問テ曰ク かきねノかきト云フ字ハタント読ムカ 一人答
て曰ク タンニ非ス エンナリ 曰ク 然ラバ垣ノ字ハ何ト云フ字ヲカクヤ
答ヘテ曰ク 土ヘンニ且〔カツとルビ〕ト云フ字ナリ 五十歩百歩伯仲ナル哉 九月六日


高崎東京府知事
高崎五六。一八三六~九六。薩摩藩士、明治時代の官僚。天保七年鹿児島に生まれる。明治一九年より東京府知事。明治二九年没。

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夾笇寸法 曲尺也
 〔図〕江次第寸法 第四巻隆日首書に見ゆ
    高野山古文書にはさまりて出しものゝ寸法ニて藤叔蔵ノうつせし形
   右黒田次年に出づ

十月十日 至急ネロサ 岡倉出迎トシテ出張 三十銭 人力 
午前十一時汽車乗後レ午後十二時十五分ニて新橋出発
 〔富士山写生〕大森より望む処


ネロサ 岡倉出迎トシテ出張
明治一九年一〇月からフェノロサと岡倉覚三が文部省の美術取調委員として欧米へ出張、その帰国を出迎えたことを指す。

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小学校ノ額 医者の家ニかけたり 
光緒十年孟春
叡教東漸 
 医者の家ニかけたり
光緒五年歳次己卯冬日  
恩同再造
大國手耀祥梁老先生大人鑑
 ■愚弟何謂痩頓首拝
       □ □
光緒己卯歳臘月敬題
 德比二天
 辛卯年歳咸偶鐵壁
方江濬益題
本家■黨痒術序之遺規養正在童蒙■■
中朝宏樂育 光緒十年歳次甲申孟陬之日
異國試絃歌 武進陳允頤撰定遠方濬■書 □ □
総百粤七■三江而耀秀同文昭聖治聊従
この家中華公学ト名札うちたり

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五銭 墨盆小ノカタ   八銭 西村マデ人力
八銭 仝 大ノカタ   廿四銭 総務局電信
六銭 ハかき        
西村屋ざしきの額
西村ざしきの額
争 勝 庚辰小■ 游西■■泉
宗儀字ハ少泉 林宗ノ後裔ト云、

横濱廟内番中華會館
  関廟儀門ノ内
(図)門官土地福徳正神

同治拾年桂月 吉旦
乃聖乃神
沐恩信士嶺南瓊州府衆信士合勝堂敬送
       何紹基書□ □
横浜〔空白〕番中華会館関廟儀門ノ内
七拾銭 帽子
三銭 蕉果
弐円弐十銭 宿屋払
壱円 西村茶代
四拾銭 女へ
四拾五銭 ゆきがけてつ道
廿五銭 かへりてつ道
廿八銭 かへり人力
九銭 くつたび

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儀門額
同治十年歳次辛未春穀旦
 恩同湛露 恩沐番南 三邑□義堂衆信敬

 □黒漆金字  同治九年歳次庚午孟夏吉日
    若木朝暉並陳琛□
    神山風引如履戸庭
       番禹陳(一字米)璞書
儀門ノウラ
同治辛未仲夏穀旦
聖澤如飴
糖行同安堂敬奉□□

同治辛未仲春 穀旦
澤遍寰區
 香邑勝義堂敬奉□

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十一日夜十一時発ニて浜ヨリ帰ル
十二日 十三銭 人力 廿五銭 めかねなほし

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