今泉雄作(1850~1931年)は、文部省や東京美術学校(現、東京藝術大学)、東京帝室博物館(現、東京国立博物館)に勤務し、岡倉天心とともに近代日本の美術行政を支えてきた人物です。東京文化財研究所が所蔵する『記事珠』全38巻は、その今泉が、明治20(1887)年から、大正2(1913)年にかけ目にした美術工芸品について、略図を交えながら記録した手控えです。本サイトは、当研究所企画情報部のプロジェクト研究「文化財の資料学的研究」(平成23~27年度)の一環として、この『記事珠』第一巻の全頁デジタル画像と翻刻テキストを公開、さらに検索機能を設けて研究に資するようにしたものです。

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staff

  • 翻刻:吉田千鶴子
  • 翻刻協力:大内曜・依田徹
  • 注釈:塩谷純・依田徹
  • 全冊子リスト作成:田中潤
  • サイト作成:小山田智寛


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      鞦  蓋

      陶棺 岡山縣備前邑久郡
      磯上村土中所得 〔図〕

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相州愛甲郡八菅山光勝寺ノ僧定心
支那ニテ菌毒ニアタリ死セシ事癸辛雑
識工雑爼ニ見ゆ 光ト元トノ誤ニて同一事也 
其寺の碑ヲ見て記ス

弘法大師ノ書ヲ嵯峨天皇ノ見誤り給ひし事類似ノ
誤支那ニアリヤ 角法六典医博士ノ術ノ内
偃息図 大日本史ニ春画ノ事ニ用ヰタリ 其出處
佐藤誠実君ノ由

五月八日 旧友会 木母寺東屋より眺望 〔写生図〕


佐藤誠実
一八三九~一九〇八。国学者。天保一〇年に生まれる。『古事類苑』の編集長を担当した。明治四一年没。

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古瀬戸 銘ときは 五月十日堀田正人の宅に見る
 うつしものなるべし 〔図〕 横ニすし有
蓋壱枚 す有 うら金紙はり からもの蓋 あめ薬の上くろくすり
 いと切面 〔図〕

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〔罫紙三枚綴じの挟み込みあり〕
十九年五月五日片野邑平君の席
上にて展観せる奇品の略
 天神縁起殘缺
    畫所預土佐中務丞光弘筆 
前左京少進光芳鑑定
 祈雨法日記 壱巻
  醍醐 勝賢 傳得成賢


片野邑平
一八四一~一九一一。 天保一二年に生まれる。子で帝国博物館に勤務するなど近代最初期の文化財行政に携わった片野四郎とともに書画収集家として知られた。明治四四年没。米沢玲・安永拓世「光明寺所蔵羅漢図について 重層的な作品理解を目指して」(『美術研究』四三七、二〇二二年)を参照。

光弘
土佐光弘。室町時代の画家。土佐行秀(一説に土佐行広)の子。永享二年(一四三〇)後花園天皇の大嘗会に行秀が悠紀屏風を、光弘が主基屏風を描く。嘉吉三年(一四四三)絵所預となる。中務丞、土佐権守。

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皇代記 壱巻 大監物清原良元
  天暦元年より寛德二年まて 
  桑名侯旧蔵
  檜山坦齋考証壱冊附
  所用之紙悉以往復書簡之背
 廿八品并九品詩哥 四半本壱冊
   正德四暦初冬上旬 了仲
   此詩哥者建治二年春壬三月関東相州
   時宗被結構之屏風詩哥也図作者
     入道詩者藤中納言資定撰之
   右大辨入道真親撰之也以當世能
   書令書色紙形了
 源氏物語柏木巻 壱冊 四半本
    四條家四世河内守隆親朝臣
   朝倉茂入道順古外題にて河内守之
   ――とあり 往にし 明治八年 月古筆

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   了仲ぬし来訪の節に鑑定を請ひ
   たりしに源三位頼政卿といはれつるに
   同十七年了悦に出示せるにハ坊門局
   といはれぬ いつれかよからん 片野君話
 小野道風朝臣真跡 
 无量義経 一巻 南無佛菴旧蔵
   箱書付探幽筆 了意極
   森傳右衛門傳来書
 天平藤皇后御書 
 觀普賢経 一巻 同
   箱書付 屋代弘賢
   奥書 明和乙酉春正月浪華江田世恭審定
   真蹟
 小野篁作 
 地蔵菩薩銅像 柳川直春彫雲形模様厨子 同

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信實朝臣畫 
虚空蔵菩薩像 一幅
   右虚空蔵菩薩畫像者往昔自古
   刹所出我 侯秘庫之貴珍也而
   寛永年間装飾之後依歴二百余
   歳表裏殆破壊矣仍今般命  輪
   背師令脩補給者也
    安政六年歳次己未孟春下旬 黒河春村記

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引家 黒柿 外袋 おらんた木綿 うら 繍珎 
  結松葉
箱 銘常盤 朱うるし 
包物 さらさ
外箱 桐 古瀬戸 
包物 見さらさ
袋 弐ツ 
茶つむき地宝尽金襴 
白あふひさや形古金襴
不昧公小色紙添 常盤なる古哥
――――
古交趾 蟹香合 蓋紫 身黄 見事ニて数すくなきもの也
呉須丸香合 赤繪 これもうつしと見ゆ おしろいときの形也

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五月十日?遊館(すか丁■ふ村)にかもめ
を見物にて、手ハ至極よくつきたり、振もよし、
唯端多のはのところすこし早きに似たり、
五月十二日玉川鵜飼三二卒 墓 谷中墓地
松崎慊堂真跡巻中所見 五月十五日三田氏に見る 〔扇面図〕
一聲■饗
暑雲■
喚起■眠
端月翁
點々寫来
秋士句
■行斜上夕陽中
   新暦明■


玉川鵜飼三二
鵜飼玉川。一八〇七~一八八七。写真家。文化四年に生まれる。本姓は遠藤。通称は幾之助、三二。横浜でアメリカ人に写真技術を学び、江戸薬研堀で写真館を開く。明治五年正倉院宝物調査に加わり、以来古美術鑑定の道を歩んだ。晩年は東京谷中に自分が撮った写真を埋め、写真塚をたてた。明治二〇年没。

松崎慊堂
一七七一~一八四四。儒学者。明和八年に生まれる。朝鮮通信使の接遇等に携わった。渡辺崋山は門人。天保一五年没。

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遠州所用短檠 小堀大膳旧蔵 今三田君蔵
 材けやき 朱ぬり わたり六寸 大めん 高サ三寸七分
   〔図〕  真向灯皿添 高 壱尺七寸二分
加部厳吉君所蔵經箱ノ蓋 貝模様 
  五月十九日観
   〔図〕 〔図〕この菊水甚た佳也 然れとも正成の鐙の金物をうつ
          したる也
 四寸八分 八寸三分 五寸二分
    此箱前後ノ板ヲ如此して〔図〕■■かけごを二重に入れたり

 今日同氏ニて手鑑壱冊ヲ見ル 大聖武
 行能卿定家古記録なと至てよし

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 底ニあり  〔拓本〕 建武二年正月日
     この年号ハ後に入れたるものか 蓋に菊水
     の模様ある故、建武の年号を刻したるなるべし 
     真を以て偽となす好商のわさ悪むべし

 以下■
  五教章通路記巻第四十四
   于時応長元年辛亥五月十八日於
   於東大寺戒壇院述之
   華厳宗沙門凝然春秋七十二
  零本弐巻あり 
 拾五円

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十五円
  貞和二年丙戌十二月七日於宀一山令書寫
  畢是第二傳謄本也尤可秘蔵云々 求法末資実憲
  大師流遺誥写壱巻
 傳教大師焼切 壱巻 大般若
 古孔雀経 三巻 見返孔雀ノ画
 梵網古迹 ふるし
 明恵上人夢記 末ニ明恵書トアリ 笑す 伊藤東崖
 金光明経 十巻 初巻伏見院震筆 外寄合書
  跋ニは 最勝王経書寫供養之旨百趣此日天下泰平海内静謐
       也被染震筆之際尊神定御納受歟 華洛直穏皇

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      業長久柳営繁昌武門・・・・異國彫石清名
      当社神弥於徳祈誓之■蓋右此而已
       正応三年季秋下旬 法印良清
  〔帙〕からぬひ 巻ヲ折經ニ改装せしもの也
 十五円
  不動マン多羅
   軸ニは 応永卅年卯七月十三日戒光坊脩復畢
   奈良表法絵士 式部 実秀 奉行権律師隆奝
 韻鑑古写本 佐藤誠実君の蔵トナル
   此韻鏡借東坊城前亜相 和長卿本令写之於序者証本之
   同筆下河原新宮(号上乗院宮道喜当朝弟)被染下尊翰者也我三令校合
   加朱點等何不為證本乎
    大永八年仲夏日 中大夫倉部羽林郎藤言継 生年廿二才
                        〔印〕〔印〕〔花押〕
         拾 藤原
         翠 言継


佐藤誠実
一八三九~一九〇八。国学者。天保一〇年に生まれる。『古事類苑』の編集長を担当した。明治四一年没。

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  竹矢服           二天 十一面観音
       〔図〕高八寸 徑三寸九分   
  観音の像 後光ハ鎌倉時代の金具
  十一面大士之像 古雅 見るべし 厨子も精工也
 
  山科正二位権大納言言継卿筆
   家譜ヲ接スルニ永正四年四月廿六日誕生 
   同十七年正月一日内蔵頭大永二年三月
   廿六日右少将ニ任ス 依テ此五日倉部
   羽林ト記ス 天正七年三月二日薨 法名照言

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浅草栄久町四拾弐番地 松本楓湖
浅草新富坂丁廿五番地 大槻修二
 〔樹下楽人の図〕


松本楓湖
一八四〇~一九二三。日本画家。天保一一年に生まれる。沖一峨、佐竹永海、菊池容斎に学び、歴史画を得意とする。安雅堂画塾を開き、今村紫紅や速水御舟等を育てた。大正一二年没。

大槻修二
大槻如電。一八四五~一九三一。学者。弘化二年に生まれる。修二は通称。明治四年海軍兵学寮共感となり、文部省勤務の後、明治七年に退官、以後在野の学者として和漢洋学を幅広く研究、とくに邦楽に精通し、雅楽研究の先駆となる。昭和六年没。

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記載なし

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壱幅ハ蹴鞠之図也
嶋田蕃根君云ク

天智天皇御宇丹波
国佐伯宿祢豊丸好
笙登山弄清韻有白
蝙蝠毎来傍聴感
象始製扇即献帝王
加波保利之称今猶
存能者感応鳥獣
蹌蹌

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三侖 述記
唯識  五拾銭
蘇悉地 壱円
無碍■ 壱円

博物館蔵尊円親王筆 刻本あるよし 五月廿二日龍池会ニて見
大覚寺結夏衆
 初安居
 大僧
 心日 第卅四夏 久遠 第廿六夏
 承忠 第廿四夏 頼圓 第十九夏
 隆恵 第十九夏 弘海 第十五夏
 尊静 第十四夏 義春 第十夏
つぎへ


大覚寺結夏衆
結夏衆僧名。建武二(一三三五)年嵯峨大覚寺で行なわれた夏安居の参加者の僧名を列記したもので、伏見天皇の第五皇子で青蓮院流の祖とされる尊円親王(一二九八~一三五六)の筆跡と伝えられる。『龍池会報告』第二五号(明治二〇年六月)には、明治二〇年五月二一日に上野公園内華族会館で開かれた龍池会の常会に、「尊円親王結夏衆」一巻が博物館借用品として出品されたことが記されている。

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 等意 第十夏  心恵 第七夏
 性遍 第六夏  光恵 第五夏
 興海 第三夏  祐俊 第三夏
 義同 第三夏  融権 第三夏
 租身 第二夏 尊尓 第二夏
 明尊 第二夏
  法同沙弥
 禅恵 慈範
 素秀
 形同沙弥
 元朗 然海
 亮政 栄珎
 顕守 了尊
 照源 照誉
  中安居
  大僧
 素英

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