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写真の保存と保護のための写真の基礎

4 写真システムの技術の変遷

4.1 古写真: 写真術の進歩を示す化石

現在の銀塩写真システムがいきなり発明されたわけではなく、試行錯誤の末いろいろのシステムが発明され、その中で利便性などから生き残ったのが現在のシステムです。ただ写真術創世記の古い写真も現在に伝わっています。それらの保存のためには、古い写真がどのようなプロセスで作られ、どのような物質で画像が構成されているかを見極めて、それに応じた保存法を講じる必要があります。写真を作るための物質とシステムの技術の変遷をたどって、主な古写真システムの概要と、モノとしての写真の構造を見ていきます。

4.2 ダゲレオタイプ

ハロゲン化銀の感光性を用いた最初期の写真システムです。ジャック・マンデ・ダゲールが1839年に発表しました。銀板写真とも言います。

ダゲレオタイプの像形成のプロセスは以下のようになります。銀板あるいは銀メッキした銅版を用いて、表面を鏡面に仕上げておきます。これをヨウ素の蒸気にさらして、表面に光センサーとなるヨウ化銀の薄い層を形成します。露光するとヨウ化銀中で光分解が起こり、銀原子からなる潜像核が形成されます。これを水銀蒸気にさらすと、銀原子上に優先的に水銀が付着し、水銀と銀の合金のアマルガムの層が潜像核のあった位置に形成されます。その後食塩水で定着します。

銀の鏡面とこのアマルガム層との光の反射の違いで像ができています。ダゲレオタイプでは感光材料上に直接観察するための像を作るため、ネガ・ポジシステムではありません。複製は作れず、1枚の写真を観察するだけとなります。鏡に映った像のようにできあがるので、1.2.4で記したように実際の像と左右が反転した鏡像になっています。見る角度と光の角度によって明暗が入れ替わってネガ像になったり、何も見えなくなったりすることもあります。ダゲレオタイプによる像の模式図を図4-1に示します。

図 4-1 ダゲレオタイプの模式図

ヨウ化銀はハロゲン化銀の中でも光分解が起こりにくく、撮影に時間がかかるものでした。その後ヨウ素ではなく、臭素蒸気を使うなどの改良がなされて感度は上昇しましたが、それでも現在の写真と比べると低感度です。

保存上の注意点として、以下のような点があります。像は薄い金属の膜で作られており、今日の写真のようにゼラチン膜のバインダーが無いので、像に傷が付きやすくなっています。そのため多くのダゲレオタイプはガラス板で覆った状態で残っています。当時は覆いに使っているガラス板の材質が安定していなかったので、ガラスに起因する像の毀損も起こります。

基板に銀板を使うと高価なため、多くは銀メッキした銅板を使っています。この銅板がさびて、緑青を生じていることがあります。

4.3 カロタイプ(タルボタイプ)

フォックス・タルボットが1841年に発明したシステムです。今日のネガ・ポジシステムの写真の起源となるものです。

カロタイプの像形成のプロセスは以下のようになります。紙に硝酸銀水溶液を塗布した後、ハロゲン化物水溶液に浸します。式1-1の反応が起こって、紙の繊維中にハロゲン化銀微結晶が形成されます。露光後に没食子硝酸銀溶液で現像し、その後臭化カリウムかチオ硫酸ナトリウムで定着すると、露光部に銀の粒子が形成されて、ネガ像の顕像が形成されます。これを通して再度露光することで、ポジ像が得られます。最初のネガ・ポジシステムです。ただ支持体の紙そのものがバインダーで、厚みのある半透明の紙の中に現像銀粒子が分散して像が作られているため、像がぼやけたものとなってしまいます。カロタイプによる像の模式図を図4-2に示します。

図 4-2 カロタイプの模式図

4.4 コロジオン湿板

コロジオン湿板は1851年にフレデリック・スコット・アーチャーにより発明されました。ハロゲン化銀微結晶を光センサーとしていますが、バインダーとしてコロジオン膜を使っています。コロジオンはニトロセルロースをエタノールとジエチルエーテルの混合液に溶かしたものです。ダゲレオタイプより感度が高く,安価なので、一時広く利用されました。黒い紙などで裏打ちしてそのままポジ像として観察したり、印画紙へ焼き付けるネガとして使います。

コロジオン湿板の像形成のプロセスは以下のようになります。ヨウ化カリウムを含むコロジオン液をガラス板に注ぎ、ガラス板全体に広げてコロジオン膜を作ります。すぐに硝酸銀水溶液に浸して光センサーとなるヨウ化銀を形成させ、湿っている状態で直ちに露光します。乾燥すると感度が急激に低下するので、撮影直前に暗室中で湿板の状態に作り、直ちに撮影しました。露光後すぐに焦性没食子または塩化第一鉄で現像し、チオ硫酸ナトリウムやシアン化カリウムで定着します。これらの操作は撮影と同時に行い、一連の複雑な操作を暗室中で一度に行わねばなりません。野外の撮影では組み立て式の暗室をその場に設営しました。

コロジオン湿板による像の模式図を図4-3に示します。基板はガラス板で、その上に像が形成されています。像はコロジオン膜の間に分散した現像銀粒子からなっています。当時引き延ばし技術が未発達だったため、密着焼き付けが中心で、湿板自体を大サイズにして撮影されました。そのため多くは大サイズのガラス板として残っており、保管には重くかさばるという難点があります。

図 4-3 コロジオン湿板の模式図

4.5 鶏卵紙

鶏卵紙はアルビューメンプリントとも呼ばれ、1850年にデジレ・ブランカール・エブラールにより発明されました。バインダーとしてゼラチンの代わりに卵白のタンパク質を使っています。ネガから焼き付ける印画紙として主に使われました。

鶏卵紙の像形成のプロセスは以下のようになります。卵白に食塩を加えて撹拌し、液体部を取り出し、紙に塗ります。硝酸銀水溶液を塗るか浸漬して、卵白の支持体中に塩化銀の微結晶を作ります。透明なネガ像と重ねて主に紫外線で露光します。光分解した銀で像ができるまで強い露光を与えてやり、定着します。顕像ができるまで露光するので、特別な現像処理は行いません。鶏卵紙による像の模式図を図4-4に示します。

図 4-4 鶏卵紙の模式図

保存上の注意点として、耐光性が低いので、暗所に保管します。急激な温度変化を与えると卵白層にひび割れを生じることがあり、なるべく温度の安定したところに保管します。

4.6 ゼラチン乾板法

コロジオン湿板の濡れた状態で操作しないといけないという欠点を改良するため、ゼラチン膜中にハロゲン化銀微結晶を分散させたゼラチン乾板法がリチャード・マドックスにより1871年に発表されました。ゼラチン膜は乾いた状態なので、コロジオン湿板に対して乾板と呼ばれました。基本構造は今日の写真感光材料と同じで、工業化されることで写真の普及が進みました。

支持体には初期にはガラス板を用いていました。ガラス乾板と呼ばれるものです。その後1890年に透明性の良いニトロセルロースのフィルムを基板としたものが作られて、今日と同じようなフィルムができました。支持体のフィルムの詳細は3章で述べたとおりです。

4.7 オートクロームカラー写真

この方法はルミエール兄弟が,カラー写真を作る方法として1904年に発明しました。1907年に発売され、その後1932年頃まで供給されました。

オートクロームカラー写真のシステムは以下のようになります。ガラス板などの透明な支持体上に青・緑・赤色の微小なフィルターを細かく並べたモザイクフィルターを作り、その上に写真乳剤を塗ります。撮影の際はこのフィルターを通して露光します。現像は未露光部のみ現像される反転現像という方法を用います。未露光部に現像銀粒子ができると、その部分のフィルターが塞がれることになり、その色が見えなくなります。フィルターを通して観察すると元画像の持つ青・緑・赤の光のみがフィルターを通して見えることになり、元の画像と同じ色情報が再現されます。オートクロームカラー写真による像の模式図を図4-5に示します。

当時はフィルターとして、着色したデンプン粒子が用いられ、青・緑・赤に染めたデンプン粒子で層を作ってフィルターとしました。2次元に並べた3色のモザイクフィルターで3原色に分けて記録するのは、今日のデジタルカメラと同じです。

図 4-5 オートクロームカラー写真の模式図


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