文展・帝展時代
明治40(1907)年、日本初の官立展である文部省美術展覧会(文展)が開設される。フランスのサロンを手本とした同展の発足に際し、黒田清輝は建白書を文部省に提出、審査員の選考に当たるなど大きく関与した。開設後も審査員を歴任し、大正8(1919)年文部大臣の管理下に帝国美術院が創設されると会員に任命、同11(1922)年には院長となり美術行政家としての役割を担うことになる。その他にも洋画家として初めての帝室技芸員を復命(明治43(1910)年)し、大正9(1920)年には貴族院議員になるなど、その後半生はもっぱら公人として多忙な日々を送っている。
能楽 / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.4 x 19.5 cm KU-c029 |
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能楽絵葉書(下絵) / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.2 x 19.1 cm KU-c021 |
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能楽絵葉書(下絵) / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.0 x 19.3 cm KU-c022 |
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能楽絵葉書(下絵) / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.2 x 19.0 cm KU-c023 |
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能楽絵葉書(下絵) / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.2 x 19.1 cm KU-c024 |
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能楽絵葉書(下絵) / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.1 x 19.1 cm KU-c025 |
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能楽絵葉書(下絵) / Study of Noh Play 年代不詳 紙 / 29.2 x 19.1 cm KU-c026 |
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能楽絵葉書(下絵)四枚 / Study for Noh Play Postcards (Four Pieces) 年代不詳 紙 / 各14.0 x 9.2 cm KU-c020 |
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