黒田清輝年譜
1866(慶応 2) | 0歳 | 6月29日鹿児島高見馬場に生まれる。幼名新太郎。父は島津藩士黒田清兼。 |
1871(慶応 4) | 5歳 | 伯父黒田清綱の養嗣子となる。 |
1878(明治11) | 12歳 | この前年、名を清輝と改める。高橋由一の門人細田季治につき、鉛筆画ならびに水彩画を学ぶ。 |
1883(明治16) | 17歳 | 寺尾寿につき、フランス語を学ぶ。外国語学校フランス語科二年級に編入される。 |
1884(明治17) | 18歳 | 2月フランス留学。3月パリのアンスティテュション・ゴッファールに入塾する。 |
1885(明治18) | 19歳 | 8月ゴッファール廃校。10月リセ・ジンソン・ド・サイイに入学。 |
1886(明治19) | 20歳 | 法律大学に聴講する。パリ滞在中の山本芳翠、藤雅三、林忠正に画家になることをすすめられ、ラファエル・コランに師事する。夏、ベルギー、オランダへ旅行する。 |
1887(明治20) | 21歳 | 法律学校に入学。夏、北フランス、ベルギーに遊ぶ。10月法律大学を退学。アカデミィ・コラロッシのコラン教室において絵画を専修する。 |
1888(明治21) | 22歳 | 5月はじめてグレーに遊ぶ。夏、ベルギー、オランダに旅行。 |
1890(明治23) | 24歳 | 6月以来、グレーに移り住む。 |
1891(明治24) | 25歳 | 3月ソシエテ・デザルティスト・フランセのサロンに「読書」入選。 |
1892(明治25) | 26歳 | 3月明治美術会第4回展へ参考品として「読書」出品。7月ベルギー旅行。 |
1893(明治26) | 27歳 | ソシエテ・ナショナル・デ・ボザールのサロンに「朝妝」入選。7月アメリカ経由で帰国。 |
1894(明治27) | 28歳 | 10月天真道場を設け、後進を指導する。明治美術会第6回展に「朝妝」出品。11月日清戦争に従軍。 |
1895(明治28) | 29歳 | 2月従軍より帰る。3月第4回内国勧業博覧会審査員となり「朝妝」出品。裸体画問題おこる。 |
1896(明治29) | 30歳 | 5月東京美術学校講師となり、西洋画科の指導者となる。6月白馬会を創立する。11月京都旅行。 |
1897(明治30) | 31歳 | 白馬会第2回展に「智・感・情」「湖畔」など出品。 |
1898(明治31) | 32歳 | 4月東京美術学校教授となる。 |
1899(明治32) | 33歳 | 白馬会研究所を溜池におく。 |
1900(明治33) | 34歳 | 5月渡欧。7月パリ着。パリ万国博覧会に「智・感・情」「湖畔」など5点出品。銀賞を受賞。 |
1901(明治34) | 35歳 | イタリア、ドイツ、ロンドンに旅行する。5月15日パリより帰国。 |
1905(明治38) | 39歳 | 5月白馬会機関誌『光風』創刊。 |
1907(明治40) | 41歳 | 3月東京勧業博覧会審査員。8月文展審査委員となる。 |
1908(明治41) | 42歳 | 10月第2回文展に「春の名残」「テリー氏肖像」「樹かげ」など3点出品。 |
1909(明治42) | 43歳 | 10月第3回文展に「鉄砲百合」など2点出品。 |
1910(明治43) | 44歳 | 4月第2回東京府美術及美術工芸審査員となる。7月文展審査員となる。10月第4回文展に「荒苑斜陽」を出品。帝室技芸員となる。 |
1911(明治44) | 45歳 | 3月白馬会解散。8月文展審査員となる(以後大正7年第12回まで毎年委員となる)。10月第5回文展に「百日紅」など3点出品。 |
1912(大正1) | 46歳 | 5月光風会創立。6月光風会第1回展に「菊花」など2点出品。10月第6回文展に「習作」「木苺」出品。 |
1913(大正2) | 47歳 | 3月国民美術協会会頭に推される。10月第7回文展に「菊花」など2点出品。 |
1914(大正3) | 48歳 | 1月鹿児島帰省中、桜島爆発に遭遇する。4月東京大正博覧会審査員となる。5月清輝画集第1集刊行。同月第8回文展へ「其日のはて」「もるる日影」出品。 |
1915(大正4) | 49歳 | 10月第9回文展に「跡見刀自肖像」出品。 |
1917(大正6) | 51歳 | 3月養父清綱子爵逝去、襲爵。 |
1919(大正8) | 53歳 | 6月国民美術協会会頭に再選される。帝国美術院会員となる。10月第1回帝展に「木村翁肖像」出品。 |
1920(大正9) | 54歳 | 貴族員議員当選。 |
1921(大正10) | 55歳 | 3月ロイヤル・アカデミィ・インスティテュト・オブ・オイル・ペインターズの会員に推挙される。 |
1922(大正11) | 56歳 | 2月フランス政府より、クロワ・デュ・コマンズール・エトワール・ノワル勲章を贈られる。7月帝国美術院長に就任。 |
1923(大正12) | 57歳 | 2月フランスより。コマンズール・ド・ロルドル・ナショナル・ド・ラ・レジョン・ドヌール勲章を贈られる。 |
1924(大正13) | 58歳 | 5月フランス政府より、グラン・クロワ・ドラゴン・ド・ランナン勲章を贈られる。7月15日東京麻布笄町の自宅で逝去する。同日、叙従三位勲二等授旭日重光章。 |