白馬会の裸体画に就ての疑ひ

  • 白雲
  • 日本
  • 1897(明治30)/11/12
  • 1

◎三箇の裸体画 題して智、感、情と云ふ、筆者黒田君の此意如何、智や情や心理上抽象分離したるの活力にして生理上又外形に其抽象的発現を見るべしと雖も 而も是尚総合的の者也、其の内甚だ多様の差別を含むか或は差別と平等を混同一視する無きか
◎差別を描いて 総合的名称を付するも美術其者には何等の軽重 を為さず、そは猶人と題して男女老若者何れを画くも可なるが如し、黒田君は此意を以て三者の一差別相を発揮し而して其総合的の題を付せし者か
◎若し此意  ならば君が今回の画は余り冒険に失せざるか、都べて如是幽玄なる心力を発揮せんには他をしてしか感受せしむる迄其外形に特兆を示すべきに非らずや、今君 の画を見るに、君は初めより極めて発動微弱にして、一歩を過らば人をして感受する能はざる危険の域を描出せんとするが如く思はる、是果して君の目的なりし か
◎若し然りと すれば君は何故に周囲の関係を作りて間接にそを発揮するの策を取らざりしか、単純に一個裸体人物を出して如是玄微の相を現はさんとする は寧ろ不可得の事ならずや(勿論程度はあれど)殊に智、感等の比較的外形に特兆を発現し得ざる者に於て然り
然れども 黒田君は全く上述の如き差別相の写 実をなしたるにあらず、初めより自己の理想を以て如是総体的の者を描出するの目的なりしか、然らば是純乎たる理想画として見る可し
◎若し如是 理想画と して見れば、君が画は写実的と混合するの弊なきか、而してこの混合せる感じは大に其興味を減殺する無きか、寧ろ三者の神でも描き理想画らしくせし方得策に は非ざるか
◎三箇の裸体画 或は解剖的に成効する者あらん而も美術的に成効を見ずと一般に評する者、以上に列記せる諸疑問に関する者無きか、吾人は君が 手先の技術以外何等か此失敗の原因あるを信せんとす、黒田君にただし併せて世の批評家に問ふ(白雲)

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