白馬会を評す

  • 木下杢太郎
  • 読売新聞
  • 1910(明治43)/05/29
  • 7
  • 展評

◎例に拠つて、色彩観相、筆技、時代の要求、及びそれを解する力、感興を絵画に換算し発表する能力等を以て、今仮に絵画批評の標準とする。上述の諸点に於て白馬会の絵画は実は驚く可き統一を保つてゐる。恰も古き曼荼羅の恒河沙の諸仏が中心仏像を囲むやうに、若き同会の諸氏は幹部の趣味技巧を学んで居る。小さい板片は落款が無いと同じ人のかと思ふ事がある。
◎第一室より始める。此では正宗氏の「落椿」が其大膽なる点彩画派の技巧で以て人の注意を促す。其点は堅い金属的の季指大の筆触(Touche、Pinseltupfen)である。之れはセエラア、シニヤツク等の新印象派が好んで用ゐた相であるが、予は見た事が無いからわからぬ。若しもセエラアが遵奉したシエヴレエルの説が真であつて、強い光の効果は原色の補色的並列に拠らねば出ないと云うた所で、此場合、かの色点はその原始的の権利を抛棄して居ると云はねばならぬ。何者かの点は、その個々に於て顔料固有の美を當然主張して居るに拘らず、相集つて彼の琅▲洞主人の所謂「色彩と光線との研究に最も特色を有する」と云ふその光線の効果を作るには役立つて居ないからである。氏の諸画は(昨今琅▲洞に陳列せられてあるが)何れも冷い印象を呈して居る。(日傘を翳せる女の絵でさへも。)即ち元来冷い筈の金属性の西洋顔料が、余りに自己の固有の権利を主張し過ぎたといふ証拠であると思ふ。
◎第二室。此の七十八枚を六七行に批評し盡すと云ふことは阿刺比亜夜話の奇跡を俟たねばならぬ。就中深谷氏の「高原」と題する者は特に予が注意を惹いた。色彩、運筆の技巧は遺憾ながら未熟だと云はねばならぬ。それにも拘はらず、予にはやや親しい感じを与へた。予は目の前に、日當りよき相模辺の原をまざまざと見るやうな気になつたのである。多くの人が自己の「主観」を提げて、殊更に変た色のスカラ、スカラと求めて徹底してゐない時に、氏の手練なき素朴な技術が却つて、正直に自然を模倣した所に或一種のイリウジヨンを捕へ得たのであらう。予はもとより此絵は拙画であると思ふ。同時に日本のかくの如き自然も當然絵画の侵略を受ねばならぬ者と信ずるのである中野氏の「砂浜」は気が利いて居るけれど、之れも亦近頃の流行語の所謂「徹底」しない作品である。斎藤知雄氏の「寂しき秋」は調子は良いが不安な感を与へる。熊谷氏の「轢死」は、名だけ聞いて目録を見なかつた内は「歴史」といふ観念を表象したものかと思つた。それで今目録を見て轢死だと知るに至つて、予の意識統一は傷ましい動揺を感じた。轢死!如何に近世的の世相なるかよ。而して如何に此に抽象的に、時代超絶的に、而して文学的象徴的に扱はれて居るかよ。斎藤五百枝氏の「うぶけの児」。フレツシユな色彩、荒彦の鉋の音のやうなさわさわした気持の良い筆の滑り。
◎第三室。九十八枚。余りに多く、余りに小さい。何れも其大家然と気取つた、気が利いた色彩やコンポジシヨンに依て大に禮に閑ざる予の反感を促した。気が利いたのも可いけれども気が利かないのも可い。かう云ふと予の情調が道徳的だと云ふかもしれないが、予は実際「一生懸命」(殊に若い人の)の崇拜者だと云ふ事を白状せねばならぬ。若き人達が片々たるスケツチを世に示すと云ふ余裕綽々たる態度は予の崇ばぬ所である。
◎第四室。南氏の諸水彩画、評なし。黒田氏のパステル諸作。さてかう云ふ者は如何に評して良いか分らぬ、氏としては余りに當然の事である。その「婦人の肖像」には、技術とは別の事であるが、昔の「小督」に用ゐられたモデルの素描の首や、湖畔の女の顔等にあらはれたる氏の気稟、趣味等を再び見る愉快を味はう事が出来る。殊に前者の素描の方は世に未だ公にせられないのであるが、煙草を持つて跼んでゐる女の顔は未だ予の瞳底に残つて居る。多分かの素描は氏が永い西洋留学から帰つて、其新鮮な感情を以て日本の人と自然を見た時の好紀念であらう。予はこの春京都へ行つて子細にそこの自然と人とを観察したが、「小督物語」に現はれたやうな人と自然とのやうにあの土地が再び後人によつて解釈されると云ふ事はあるまいと思つた。或はあれらを西洋臭味が強過ぎると云ふかも知れない。然しそこが氏に所謂「整復の音の感味」を与へた所だつたに相違ない。上述のパステルの女の顔が一寸西洋人的に見えたからこんな聯想が起つた。岡田氏の画稿「女のあたま」は実にデリケエトな色の諧調である。その少し脂つこい、柔い筆触の味も亦よく氏の気稟に適応して居る。
◎第五室。湯浅氏の水彩画の諸作は、その画かれたる地方には少しも智識を持つて居ないが、一見日差しの如何に黄ろい所であるかが気付かれる。ロカリテイの興味より外には予の心を動かさなかつた。若し夫れ氏の油絵に至つては、予は、氏が自家の語らむと欲する所を発表するに十分の達弁を有して居ると云ふ事を識認する一人である。而して、観客も亦氏の技術を通して、善く氏の語る所を解する事が出来るのである。故に亦氏の絵を解する事は比較的容易であるとも云へる予には二九一号の「公園」と云ふのが殊に気に入つた。予は不幸にして欧洲名家の絵を目睹した事が無いから「一般的」として云ふ事は出来ないが、予の考ふる如くんば氏の色彩はあまり綺麗では無い。筆触にもあまり込み入つた手管が無い、むしろ淡白な単純な技巧である。予等は唯比較的氏の興味を惹いてゐるらしい市街生活の画題を更に予等の本国に於て見出して貰ひたいといふ事を望ましく思ふのである。中沢氏の諸作は予に多くの考究を促す。氏の絵はその感情に於て一つの主調を中心として居るのは明白であるが、その現はれ方や、技巧や、取材の方面に極めて変化の多い事が、どうも氏の内心の動揺を語つて居るのでは無いかと推量せられて不安心である。加之予は氏の筆触其他の技巧すらも時々変轉するやうに思ふ。彼の殆んど原色に近い色彩の細やかな配整から光学的効果を得ようと力めた「おもひで」と、譬ば今度の「築墻」「湯ケ島」等とが同じ作者から出たと云ふ事は疑れる程である。氏も亦「情調の人」と云はねばならぬ。第四室の批評の時に言ひ忘れたが、かの「温泉スケツチ」「婦人」「舞子」等に於て純色彩派的に快活にあらはれた氏の気稟は、その用ゐられたる顔料の相違に適応して、たとへば此「築墻」に於て著しく暗く、重く、憂鬱に現はれて居る。然し其矛盾を除けば「築墻」は十分明瞭に情調の現はれた好画である。予はそれよりも灰緑の柔かい調子の「奈良」の絵を高く評価せむと欲する者である。次に予は跡見氏が、凡ての自然と皆一様に、氏一流の情調に化し去る態度に対して余り快感を抱いて居ないと云ふ事を告白しよう。また岡野氏の富士の諸作は唯一寸綺麗だといふ以上には感じなかつた。山本氏の「朝凪」「漁火」の二枚の大幅に就ては去年の春二六新聞で評した事があるから今は云はぬ。唯、スケツチ板位に適する叙情詩的の景色を、それに釣り合はぬ大幅にした無効の努力を惜しむと云ふ事丈を繰り返して置かう。其他小林氏、矢崎氏、長原氏の諸作は、予は余り感心しなかつた。
◎同じ室の内に黒田氏の油絵の小品がある。その内から予の尤も好む「雪庭の夕映」と「庭前の雪」を取つて仔細に観察して見る。是等に氏の常用する筆触の一部は尤も代表的に現はれて居る。軽い、柔い、一見無頓着のやうな筆触である。或は筆を立てゝ軽くぽんぽんぽんぽんと打つたやうなのがある。それは「春の草原」などに著しく見られる。木の枝などは実に無雑作に引いた線である。杉の葉の緑は筆に余つた絵の具をそつとなすり乍ら置いて行つた痕である。かういふ近頃のは昔の粗い運筆とは大分違ふやうである。兎に角線や点、一般に筆触といふものが、色彩にも増して絵画の効果に関係して居ると云ふ事は争はれない。仏蘭西の印象派は主にあらいコンマ( Virgule)を用ひたと云ふ事だが、それが画題、顔料の外に彼の如き効果を出すに与つて力ありしことは少くないだらう。氏の悠々たる筆触のあとを見ると氏が如何に芸術の遊戯三昧の境に彷徨してゐるかが伺はれる。も一つ気付くことは氏の画題の選び方である。如何にも画家的の無頓着がそれから見られる。蓋し「秋の色草」の長唄の曲名を取つたのも予の同伴者の云ふほど深い意味のあるのでも無いのだらう。
◎次に同室の藤島氏の作品に就て感じた事を述べよう。滞欧紀念の諸作は何れも皆よく氏の装飾画家的気稟を発揮してゐる。故に予等は氏の小画幅の前に自然の幻影を感得する前に画面の美しさに動かされる。故に観賞者の感興は心理的よりも寧ろより多く生理的である。たとへば第三四四号の如きは予等に橋梁の穹窿から覗れる彼岸の人家の窓、流るゝ河の水といふ様なものはどうでも可いのであつて、粘つこいやうで而もさくさくした、仏蘭西人的に軽快な筆触、気持のよい色彩、わてけも水の―是迄の日本人の絵になかつた―青色、それらの配調等が此絵の萬事であるのである。予は殊に第三五三号の筆触の気持のよいといふ事を紹介せむと欲するものである。
◎もう大分書き過ぎたから遺憾ながら第六室以下の作品にはあまり触れまいと思ふ。唯だ此機会を利用して、昨年来世評の高かつた山脇氏の作品に就て思ふ事を述べよう。其際予は氏の崇拝者にあまり左袒することの出来ないのを悲しむのである。殊に氏の単純なる色彩観照、顔料の死用は予に反感を起させる。唯予にXとして残つて居るものは氏の気稟である。
◎最後に予は唯空名として予等に伝はつて居る大才エラスケスを紹介して呉れた湯浅氏の努力を感謝してこのつまらない批評の筆を擱かうと思ふ。何れも氏が滞欧中ムゼオ・デル・プラドで模写されたものであると見える。メニツプス及びエゾプスの二人の哲学者は、一人は内心の微笑を包んだ赤い顔で、一人は無言の感傷の相を以て、一人は快活なる気象の底に無慈悲なる譏誚を藏し、一人は大なる智慧の書籍を手にして憂鬱な倦怠に労れ乍ら共に観者を見守つて居る。予等は所謂「エラスケスの黒」「エラスケスの灰色」等を此模写で紹介せられたのを喜ぶのである。其後三八六号の「織女」の図では既に十七世紀に扱はれた外光的効果を驚嘆し、鮮なる深緑、明碧、真珠灰色等の色彩を味ふ事が出来る。三九二号の「官女図」では奔放な運筆と巧みな物質の描写に感心する。尤も上述の評価は予の今の実際の感じからでなくて、美術史の指金であると云ふ事はかくされない。実際を云ふと、本場へわたらないでエラスケスの崇拝者になるなどいふ事は大それた話である。

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