白馬会概評(一)

  • 報知新聞
  • 1905(明治38)/10/15
  • 1
  • 展評

春の太平洋画会がローランス一人の展覧会で有た如く秋の白馬会はコラン氏一人のそれであるかの如き観を呈して居る同じ年の春秋二季に於て同じ上野の五号館で仏国一流の大家の展覧会が両度迄開会されたのは頗る興味のある事で吾芸術の士を益することは更なり一般人士の趣味を開発誘導するの功誠は少からぬこと であらうと思ふ
丸みの足りないと云ふ批難はあるが例の得意な緑色と白色との調和の手際なるは固より大膽な直線の配合が如何にも巧妙で其描法の如何にも優雅にして温健なる一掃し去つて洒々磊々 たる所些の苦心の跟をも吹索し得られないではないか一度此作に対すれば胸中 の塵埃悉く払拭せられて清澄秋の如く誰か亦濁世の 紛々を思ひ煩ふものあらんやであるコラン氏の作を挟んで小林和田両氏 の作が掲げられてある共に材を歴史中の女性に採つたものでいづれも骨折つた 大幅である
△静(小林萬吾筆) 蓋し小林氏の筆としては空前の 傑作であつて是迄屡々見せられた様なイヤな色のないのも嬉しく衣服の物質抔も可なりに説明されて居るし描法も中々手際なものであるが衣服の動揺が乏いのと肉体の露出した部分乃ち顔面だとか手とかゞ全く表情 を欠いて居る為めに何となく窮屈相で花屋敷の人形を見て居 る様な感が起るのは惜しむべき欠点ではあるまいか夫れも単に鎌倉時代白拍子の図として見た時の事であるが若し更らに静の性格だの當時 の境遇だのと詮索した日には固より全然失敗の作で画面のいづれの部分 にも静なるものは見出されないのである
△くものおこなひ(和田英作筆) 昨年の「ある かなきかのとげ」に比すれば或は無難な作かも知れぬが作者が余り無難を求めて色を渋がつた結果は画面に一種陰鬱の気を帯びて居て吾等が単に彼の和歌を誦して味ひ得る感興とは一致しない且つ表情の極端なる姿勢は何となく落付を失ひ場所の庭らしからぬと相対してそこら烏森あたりのそれ者が目黒辺の林で出場を失つたと云ふ見え がある天平式夜鷹と云ふ酷評も善悪なき京童の戯れ口とのみは云 へない、されど織物抔の物質は見事に表現されて居て殊に背景の巧 みに描かれてあることは流石に氏の作であつて到底尋常作家の企及する所ではない兎に角小林氏の静と相待つて場中有数の大作たるを失はない
(一記者)
因みに女郎蜘蛛は氏の作に見るが如く余り地面に接近 して其巣を張ることはないのである

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