白馬会三田の特色

  • 読売新聞
  • 1903(明治36)/10/11
  • 1
  • 展評

現今の白馬会に於て其油絵作品の嶄然一頭地を抜けるものを黒田、岡田、和田の三氏とす。黒田氏ハ隠然同会の首領にして、技術亦た推されて第一位とせらる。岡田、和田両氏ハ其巴里遊学より帰れるの日尚ほ新らしきと、其技倆固より凡ならざるとを以て共に同会にありて重きをなせり。今ま敢て三氏の作品に就て概評を試みんか。
黒田氏の技術、鍛練を経来つて、益精妙の域に進めるハ世の一般に認むるところ、昨秋の展覧会に小品「海」図等を出して、江湖の賞讃を博したるハ、尚ほ吾人の記憶に新たなる事実にあらずや。然り「海」図ハ小品と雖ども氏が一たりしならん、淡々たる色調を用ゐて、煙波漂渺涯りなきの趣を写し、軽掃淡抹の筆致に津々として盡きざる詩的の余情を含ませ、浩蕩たる大洋の壮観を尺幅の中に収めて観者の心魂を奪ふの概あり。由来黒田氏の作ハ往々生硬に陥るとの評ありき、近年技術の洗練せらるゝや、毫も此病あることなしと雖ども、画風謹厳に過ぐると、着想往々理路に走りて、屡々余韻に乏しきことなきにあらざりき。然かも此図に至つてハ、実に氏が妙手腕の一端を窺ふべき佳品たり。然れども氏が最も得意とする所ハ裸体美人なるが如し。今回亦た二図を出せり、対して「春」「秋」と云ふ、金髪の佳人、各春と秋との背景の前に立てり、淡紅の膚色、優婉なる容姿、妖冶艶麗の致を恣にせり、蓋し氏が擅長の特技ならん。唯だ憾む、良モデルの得難きにや、腕痩せ、胸肉落ち一種繊弱の感を催すことゝ、警察の盲的干渉を避けんとてか、意味なく布片を以て腰部を掩はしめたるを、共に観者の感興を損ふを免れざらん。
且つや裸体画なるものに対してハ余輩一種素人的持説あり、試に披陳して識者の教を請はんか。それ裸体画の目的ハ人体の美を発揮するにあり。されバ単独に裸体其物を描く場合ハ乃ち佳なりと雖ども、之を採つて配景の中に置くの場合に於てハ、裸人物と補景との調和ハ頗る考慮を要すべき問題にあらずや。若し裸人物と補景との関係無意義に陥り、其調和完きを得ずんバ、仮令其裸躰と景色と各別々に其妙趣を現はせるも、全体の調和を欠くに於てハ、之を称して名画となすこと能はざるべし。そハ観者の感興ハ画の全体に現はれたる韻趣に依つて生ずるものなれバ、苟もワザとらしき点或ハ不調和の点あらバ、観者の興ハ之が為めに頗る削減せらるゝことを免れじ、此の故に古来泰西の諸名家ハ或ハ題を神話に取り、或ハ詩に托し、或ハ歴史に拠り努めて裸人物と其周囲との関係をして不自然なる不調和より救ふことを力めたり。近年欧洲殊に仏国の大家が作に全く此点に無頓着なるもの多きが如し。然れども余輩ハ之を以て完全なる作と見做すに躊躇す。此の如きハ恐らくハ永久に人の賞鑑を惹くこと能はざるべし。そハ斯の如きの不調和ハ観者の感興を撹破すべけれバなり。我ハ我国の諸大家の作中亦た此点に無頓着なるものあるに平なる能はず、敢て云ふ。黒田氏の此対画ハ春と秋との女神の意なるか、果して然らバ今ま一きはの神々しさあらまほし、姿態のモデルじみたるも惜しき心地す。
岡田氏亦た裸美人に於て盛名を博したり。氏ハ玉の如き豊肌を描き、婉麗なる肉の色を写すに巧みなり。氏の作ハ総て優婉の情を帯び、筆致の穏健にして色調の温和なる、他の模擬し得ざるところたり。然れども昨秋展列せられたる「老人」図の如き一種蒼古の韻ありて幽遠の情を寓したるも亦たなきにあらず。其風景に至つてハ或ハ颯爽或ハ秀潤、縦横の画才を顕はせり。今回展列せられたる「京の春雨」「皷」の如き何ぞ■艶なるの甚しき。「エバ」「花のかをり」共に例に依つて婉麗なり。是れ等ハ氏の才筆独り之を能くすべき所の画境なり。
和田氏の作に至つてハ謹厚にして沈着、真率にして穆実、風景に人物に共に能く天真の美を写せり。昨秋展列せられたる「冬の日」「編物」「池畔」、今年の博覧会に出品せられたる「こだま」「薄暮」、今秋展列せる「思郷」ハ甞てサロン出品の栄を擔へるもの、皆是一として氏が特色を印せざるハなし。
黒田氏の作ハ想を以て勝たんとし、岡田氏のハ才を以て著しく、和田氏のハ真気に富めり。三田各其特殊の妙趣を発揮して、白馬会ハ一層繁華の盛観を致せり。三氏たるものそれ深く自ら愛重せよ。

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