白馬会雑言(五)

  • 牛門生
  • 毎日新聞
  • 1903(明治36)/10/24
  • 1
  • 展評

△山本芳翠氏の樹陰に舟を繋げる「風景」画是れも西洋に有りそうな景色にて、其色などより一見氏の筆たるを知る、参考部にある「月神セメン」はゴブラン織の模写にて其筆には画としての趣味は無けれど、氏が徃年仏国に留学中始めて模写をやツたのが此月神とかなれば画家が苦辛修業の紀念として観て一点の価値あるを認める、此次の展覧会には昨年の伊藤さんの肖像のやうなものを見せて貰いたい、
△小林萬吾氏は今年は大作はないが小品は可成所々に散見する「三日月」など中々おもしろい「森」「茅ケ崎の富士」等は好い
△中丸精十郎氏は入口のモザイク以外油画の小品に筆を弄して居る(一一二)の「細径」は其内で最もよく思つた氏の筆は少し弱い傾はあるが其代り奇麗だ
△小林鐘吉氏は真面目なる画き方にて着実な進歩を追うことだろうと思ふ(二二二)の船など之を証して居る
△裸体画といへば人は多く黒田清輝氏を説くが、此他に展覧会ごとに人を感服せしめ後進に教ふる所あるは氏の肖像画にて、先年は故外山正一氏を画いて評判であつたが今年は菊地前文相の「肖像」を出して居る、其確かなるデツサンの間に其人の性情躍出し、謂はゞ世間多数の肖像画の死物なるに反して此は活き活きした気が観客の眸裡に映ずるの妙がある
△特別室内の裸体画「春」と「秋」は各個、色の取合せが先づ非常に好い、背景は何れとて奥行きと見へ優劣はないと思ふ、人物は顔面は何れともうまいものだが、総体に無難なのは「秋」の方であろうか「春」の方右肩の辺り少し平たいやうだ、傍にある「エチユード」は輪廓の確かなる為め不可言妙味を以て人を迎へしめた、氏の技倆は此等小品に於ても充分発揮されて居る、
△丹羽林平氏の「朝霧」は清紗に包まれ居る如き模糊たる暁色一寸器用な画き方にて美術院派の色ばかりでぼーツと出すを得意として居る春草の手合は特に悦んで見るならんか
△磯野吉雄氏の「波」は一寸面白いが、立波が陸より余り近く見へる
△森川松之助氏のでは「旭森神社」などよく思ツた
△吉田六郎氏の「夏の海」は山など尚ほ生硬を免かれざるも苦辛の作と知られ
△亀山克巳氏の「夏の川」高辻氏の「夏の峯」などもよく思ツた
此等後進画家の油絵中で異彩を認めるは郡司卯之助氏と橋本邦助氏の二人にて、前者は作の多きに富み「村落の暮」「月」「初春」「町はづれ」「月島の月」など佳作もありて非常の勉強、橋本氏は出品の数は少なけれども(二0四)の死鶏、色も穏かに、筆にも味ありて氏に取りては近頃の傑作と見るべく二氏相駢んで後日の進歩が想見せらるゝやうだ
△水彩画にパステルも場中三室を有し殊に水彩は別に一場の展覧会を為すの偉観がある、其中で岡吉枝氏は少女を材料とした数点のスケツチ何れも面白く、表情も充分である、(五三)の女の肱は少し硬いやうだ
△矢崎千代治は今度は水彩丈であるが「奈良氷室宮」などよき方か△中沢弘光氏は東海道五十三駅のスケツチ、即ち「夏の東海道」を以つて七八間の壁を塞げて居るは近頃の壮観である広重を水彩で徃ツた形にて短亭長浦の景色生活の有様巧みに其才筆の間に現はれて居る(三七九)の京都四條と五條橋「御堂の花」「京の舞妓」など徐ろに記憶を去らない
△三宅克巳氏の出品は今年も随分多いが、緻密なる自然の観察、周到なる氏の描法相須て千鈞の重みあるもの少からず「雨後の森」「角筈村の春色」など尤中の尤か出品中一二は単に綿密に過て趣味に乏しきものあるも能く他の美に蔽はれて居る
△青木繁といふ名は「与茂都比良佐加」てふ奇なる画題に依り、又白馬賞の特遇とに依り一異彩を放つて居る、其作は悉く宗教的理想画にて、此種の方向に研究の針路を執りたると、草稿其他の筆の大に見るべきものあるとは今後の画界に於て注意すべき好画家か
△岡野栄氏も東海山陽に亘りて面白きスケツチを出して居る(三五八)の大井川遠望、海道三州路(三六0)の御油、丸子其外など好い小品であツた、
△参考画は和田英作氏の「ミレ」「ヴエラスケス」「クウベル」筆作品の模写は斯界に寄与する所実に少からず、此後とも展覧会に模写の出品を流行らせたく是は記者ばかりでなく定めし世間一般の希望だらうと思ふ(牛門生)(完)

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