白馬会雑言(三)

  • 牛門生
  • 毎日新聞
  • 1903(明治36)/10/21
  • 1
  • 展評

△和田三造氏の「(蜻蛉)」は是亦平民的生活の有様にて落想は至極面白い、全体に光線の分ち難くて、青色の妙にぎらつくやら、庭の地べたと椽と並んで居るなどはあれど、其筆の■気のなき処後来有望のの青年画家として甚だ頼母しい心地がする、
△中村勝治郎氏の「躑躅花」は燃る計りの花の此方に少女の立ち居る図にて、少女の首から下は少し棒の方であるが、花は割合に成効して居る、(一四一)の唯だ躑躅花ばかりを画いた方は画き方が奇抜に徃ツて居て面白い、今度は前回よりも見勝りがするやうに思ふ
△岡田三郎氏は人物、風景等作品も可成多いが、風景の内では「土浦の夕」「仁和寺の古門」など、誠に見飽ぬ思がする、扨て今度は思ひ切つて奇麗なものを画かれた、何人も立留ツて見るといふ「京の春雨」で、氏の才筆は其勝に接して感興の催ふしたまゝ弄せられたのであろう、顔の厚化粧様の濃艶、屋外の煙の如き春雨に反映して妙であった、唯だ顔の側面に合はして首から下が少しねぢれ過ぎて居るやうに覚えた、斯様な浮世絵的の図でありながら画面に一種清新の気があツて少しもいやみのないのは特に嬉しく思ツた、今一つの「鼓」と題した舞妓は軽々筆を着けて居る内に風趣がある、特別室内の「花の香」は半身裸体の女が向ひ合ツて、一人は花を手にし、一人は一輪の花を持ちて香を嗅いで居るところだが全体にふわりとした優柔な気持がして、右の女の顔などは一層に此気持を助けて居るやうだ、平たく云へば何となく嫌味を覚える、人物は此方の左りの方が好い、唯だ其左手の相手の肩につかまり居る如きところ相手の右の手と混じて、何れが何ふ往ツて居るのやら、一寸分らないやうだ、去年の「夏日読書」のやうな裸体画を今一度見せて貰いたいものだ
△此の裸体画の花の香よりも香り床しく覚えたは「花」と題する小画にて濃き色も四辺の暗さとよく調和せられ、花弁の柔かさも見え、而して画面の間に一道の気品が発揮せられて居る、
△一昨日の紙上和田氏の富士と雲は同じ三保の景色でも「夕凪」と題した方であツた、第一回の雑言中、くせを附ける「妙な気ではない」は「妙がないではない」、「内々大」には「内に大に」の誤植だ、一寸はしき丈けを断ツておく(牛門生)

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