上野谷中の展覧会(五)

  • 読売新聞
  • 1902(明治35)/10/14
  • 2
  • 展評

◎白馬会(つゞき)
△松 同じく藤島武二氏の手に成り、小幀なれども軽妙の筆、悠揚の調、何んとなく看者をして清新の感を起さしむ。日本画家にして之に接せバ必らずや得る所少なからざるべし。尚氏の作として見るべきもの、朝雲、雨後共に称すべし。
△暴れ模様 水彩画家三宅克己氏の筆成。三宅氏ハ孤剣飄然英仏に渡りて専念苦学水彩画を研究したるの人、其作品の展列さるゝもの十余点、何れも佳ならざるハなけれど、前掲暴れ模様を氏が出品中の白眉として、セイヌ河畔の朝、同冬の午後、画伯コローの住家、角筈村の午後、夕の市街など共に称すべく見るべきの作品なり。人ハいふ氏の作ハ水彩画として大に拵へ過ぎたるの痕あり。或ハパステルの手法を用ゐ、或ハナイフを以て掻きたり、看者をして美感を与へしめむが為めに様々の手段を用ゐたるハ惜むべしと。されど自然を表現するに當りて、如何なる手法手段を用ゆるとも、只能く自個の感興を写し、自然を実現するを得バ足れり、是れ目下英国水彩画家の風潮なりといはゞ其れ迄にて氏として深く咎むる所ハなけれど、然れども氏の作品を通観して去つて、中丸精十郎氏が出品に係るクレープの希臘風景、ハツクイゼンの森の道、牧場、ボスニーの古市街、ヴアン、インゲンの瀧、ブリウクの河辺、デベンデルの海等に対すれバ、氏の作の大に見劣りせらるゝハ何故ぞ。此等の作ハ何れも旧式の水彩画に属し、今日の所謂英国派とハ其趣きを異にすべしと雖も、是等を熟覧すれバ森の道の幽遠、海辺の清涼、瀧の壮快、身自から其境に莅むが如く知らず識らず画中の人となりて或ハ希臘の風景裡に、或ハボスニーの古市街に逍遥するかの感を踴起するに引換へ、更に三宅氏のに臨めバ単に画として其画を見るに過ぎずして、些かも斯る快感の起らざるハ何の理ぞ。余輩ハ今深く問はざるべし。只三宅氏に対して更に奮励一番されんことを切望するのみ。蓋し氏の作たる之れを他の■■たる作家に比すれバ、優に数等の上に在るを以て也。 (仏)

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