上野谷中の展覧会(四)

  • 読売新聞
  • 1902(明治35)/10/13
  • 2
  • 展評

◎白馬会(つゞき)
△天平の面影 作家藤島武二氏人に語りて曰く、此画を描くに至りし動機とも称すべきハ昨年奈良に遊びて普く古画古仏像を渉猟し端りなくも正倉院珍襲の箜篌を一見したり。抑も此の箜篌ハ今より一千年の昔聖武天皇の御宇知ろし召す天平の頃渡来したりとの伝説に基き種々の歴史的事実を湊合して終に画題に想到したるにて、その目的ハ及ばずながら是れに依りて以て當時随唐との交通甚しく我国の文物制度ハ悉く其風を模傚せし其情態を髣髴として画面に表現せんとするに在り。而して之を描くにハ古代画風により、婆裟たる天女の服装の如きハ天平時代宮中貴嬪の服装を混じて彫刻したりとの説ある浄瑠寺の吉祥天、二月堂の日天月天、醍醐三宝院の過去因果経、及び正倉院御物樹下美人等を参考したるなり云々と善哉言や、作家にして即にこの抱負あり以て画面に臨む。渾然一灑必らず其真を発揮し得べき歟。
この画ハ氏が衝立にとて描かんとせし其半隻にして且つ未成品なれバ、余輩多くをいふを好まざれども、一言以て注意したきハ其面貌に在り。作家が選びし彼の面長の相貌ハ因果経に依りしか何れによりしかを詳にせずと雖も、作家が基きたりといふ樹下美人も、吉祥天も、日天月天も共に一種の天平顔とも称すべき下膨れなる円き面貌にて、彼の如く細長き相貌ハ余輩の知れる限りの天平時代の絵画彫刻に於てハ未だ曾て見ざる所成。固よりこハ作家がモデルとしたる婦人の相貌の斯の如かりしにも依るべけれど、苟くも天平の面影といふ以上ハ少しく此辺にも注意ありたき者成。且やその相貌のみならず、其時代精神の特徴ともいふべきを、髣髴として形相の上に表現せざれバ作家が當初の意志にも反するなるべし。記して以て成画の後を俟つ(仏)。

前の記事
次の記事
to page top