白馬会画評(一)

  • 都新聞
  • 1902(明治35)/10/10
  • 1
  • 展評

秋高く馬肥えて都の錦、色も取り取りに噂せられる中に、土曜日曜の散策を兼ねて、上野公園に色深き芸苑の花と都下幾萬の士女を集めるものは白馬会の洋画展覧会で有る。
竹之台の暁色未だ晴れやらぬ薄靄の中に、毅然として聳へるのハ、今回新たに展覧会の為めに作つた白堊のクラシツク式の門で正面の白馬の首ハ下界遥かに群集を見下して居るが、如何にも立派な此の門の主眼になる物としてハ、馬の形が頗る近世的で配合の上から如何も可笑しく思はれるが、之は半肉か何かにして、古き時代の馬の横を見せたらバ、一層奥床しい物となつたで有らう、然し之が僅々三日の仕事としてハ秀吉の築城も及ばぬ次第で有る。
先づ大体会場の整頓して居るのハ何よりで有るが、今回の絵は選択が充分で無い故か悪作愚作が処々に有つて、其が非常に眼ざわりに為るのだ、之は来年からハ何様か充分に吟味して長く売り込んだ会の名を落さない様にして貰い度い。
入場第一、柳敬助 の田家と云ふのが有る、之ハ元来初心の者が描く可き場処で無いのだ。山とか水とか云ふものハ、山にハ幾多の皺が有り面が多様で其に映る日光の具合から云つて、色の調子が非常に困難なので、水は又水で波の高低と遠近とは中々附にくいので之は遠山が只薄く描いて有るのが、面も何も描いて無く物の説明が附いて居ない、只色が其程厭味で無いのと描法に真率な処が有るのが先づ取柄だらう。
辻永 の風景、遠くの森近くの水、色も寒し観察も粗だ。
橋本邦助 の風景は画が何処と無く親切で調子ハ中々細かい辺まで注意して有るが只近景の木の葉に射つた日光が右の木も左も同じ様に調子を外して為る、其に出品九枚の何の画にも赤茶けた濁つた色が有るのが厭だ。人物でハ五の花摘みよりハ井戸端の桃を剥いて居る女の方が好い、色が少ないと云ふのハ画全体の評とす可きで有るが此の女なぞハ色の少ないに関はらず顔も、手も、皆調子好く出来て居て描法も親切だ、井戸が人物に比し、非常に小さいし右の手の庖丁を持つ親指は困つたものだ。
野田昇平 風景二枚の中池畔の方が好い、一枚の西洋館ハ落選する資格が有る。
渡辺亮輔 の水汲先づ場中屈指の大作の部類だが、顔面の色も手足の色も皆好い加減で研究ハ少しも為てない、手桶が先づ上出来で有るが形が少し可笑しい様だ、水道の口からバケットに落ちて居る水なぞハ全く拙だ。衣類の色も寒い。
森岡柳蔵 の細流ハ谷間の石を一ツ一ツ丁寧に描いたもので日が映つて居るのか曇天なのか少しも解らない、色は厭味が多く不快の色が陰に用ゐて有るが之は止めたら好からう、浜辺の松と舟の画が先づ好い方だらう。
岡野栄 の勤行、四尺に五尺位の大作で仏画の羅漢に似たる僧の緋の法衣にて読経の図、厭味少なく無難の出来だ、左手の明るき障子ハ描法堅くて板の如く、金燈篭のベルハ少しく怪しい方なり、僧の法衣ハごわごわして重相に見へるのが欠点。然し之迄は何人でも丁寧にやる事は出来るが之から上の仕上げが困難なのだ、岡野氏以て如何となす。
大束昌可 の秋景色、筆使ひも色も巧なものだが点景人物は無用な物だ、雨中の桜ハ森の色好く花は拙。
中丸精十郎 総数十九点の小品多くハ仏国土産の洒落れた物ばかりだが菊畑ハ淡彩の中に云ふ可からざる趣が有つて遠く霞んだ丘の色も好く之を傑作と云ても非難ハなからう。旅行記念の小さい中にも面白いのも有るが支那料理店といふ小品ハ尤も妙だ。

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