白馬会展覧会(去)

  • 如来生
  • 読売新聞
  • 1898(明治31)/10/22
  • 3
  • 展評

藤島武二氏佳作
小督物語に次で場中の大幅にして、而して彼よりも遥に一段成功したるものハ、藤島武二氏池畔納涼の一幅とな す。
佳人二人、一人ハ佇立繊手小冊子を手にして嬌眼之を読める が如く、一人ハ細腰椅によりて綽態柔情、親しく之と聞かんとするものゝ 如し、池畔一■の楊柳ハ枝を垂れて晩風微凉を送り、湖心百葉 の芙蓉ハ笑を帯びて紅衫為めに香ばし、遠景の風趣ある、近景の佳致なる、作家ハ絶妙の技巧によりて此の好風光を現出し来る。尚更に仔細に之を評せんか、前景平地一体の樹木と野草との配置の温雅にして野卑ならざる、中景の池水と美■との華麗にして沈着 なる、遠景の風趣と相俟つて、濃淡に配色に遠近の度合に、全幅の布置結構整然として些の欠所なきハ稱すべく、特に其人物の能く此の画中に投合したる、納涼の趣味も豊富に、紙上に 活動せるを見る。洵に此の作家ハ人物と景致との遠近濃淡の点 に於てハ潔く成功せり、之を前の小督物語の漠々たるに比す、確かに一段の上に在りといふべし。
然れど も又飜つて人物を此の画中より離し単に両個の佳人のみに就て之を見る、其人物ハ果して紙上に活動したるか、池畔に納涼せるといふ両佳人の情想ハ果して表現せられたる乎、此点に於てハ余輩 ハ作家の為めに惜まざるを得ず、作家ハ実に失敗せり、体格の点に、相貌の上に、将た又其挙動の上に確かに失敗せり、即ち此 の作家ハ人物と景致との配合の上に於てハ小督物語に一歩 を擢んでたりと雖も、人物個々の情想の紙面に活躍せるに到りてハ、其 手腕ハ到底同日に論ずべからざる也。
故に余輩ハいふ此の作家ハ景を写すの上に 於てハ其筆最も■なるの人也、然れども情を写すの上に於てハ、未だ老いたりと稱すべからず、尚更に一段の用意を望まずんバあるべからざる也。然りと雖も納 涼を描いて而して人をして其趣味の豊富な■■感ぜしむ此の作亦作家が近来の佳作たるに愧ぢずといふべし。
北連蔵外諸氏の作
北連蔵氏の『遺児』、画稿ながらも亦以て大に称すべきものといふべし。姉、弟、二人の遺児の父母何れかの棺に添ふて哀矜弟泣野辺送りする惨態、貧家の状も現は れて、観るものをして坐ろに骨を刺さしむ。蓋し九廻の苦心を以て、清商 の怨調を発すするとも評ずべきもの、其姿勢骨格等の瑣細の欠所に至りてハ余輩必ずしも今日に於て之を咎めず。更に其成画となりて世 に出るの時を俟ん。
幅の大なるものにして、前幅に次ぎたるハ小林萬吾氏の農夫晩帰、 白瀧幾之助氏の休息の二幅なるべし、前者ハ人物の上に於てのみ成功せしが後者ハ人物景 致共に失敗したるが如し。
さて小幅に至りて、安藤仲太郎氏の吉野の春と和田英作氏『機織』、後者ハ能く 冬日の陽光を現じて巧に田舎住居の情を盡し、前者ハ遠山 の桜花を眺望する光景、全幅茫乎として図様既に凡ならず、 到底凡筆の及ぶ所に非ず。湯浅一郎氏の夕日の森全幅同一青色を用 ひて而かも能く日光を照映せしめたるハよし。同じく漁家の一幅、室内の空 気佳にして這般の生活を現出せる妙。其他山本森之助広瀬勝平両氏共に前回より数段の進歩を見る。

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